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僕はこうしてカウボーイになった

これは、一人の青年がカウボーイになった人生の記録である。

第1回 I am a trainee!!

第2回 Legend of the Twin Falls

第3回 ランチ生活の始まり

第4回 カウボーイの姿

第5回 開発と開拓

第2回 - Legend of the Twin Falls

藤川 勇 著
 1979年 愛媛 生まれ

2003年6月、僕はついにアメリカにやってきた。

ずっと以前からこの瞬間を待ちわびていたのに、不思議なことに着陸の無事を歓喜する自分はいても、到着に対してのそれはなかった。

到着はシアトル空港。ターミナルからは地下鉄を使わないことには外に出られないのだが、アナウンスでは地下鉄の故障が告げられていた。アナウンスは故障と繰り返すだけで詳しい情報は一切伝えない。しばらく外へは出られないということだろうか。早くアメリカが見たい。

窓から外を見渡したが、風景は建物が陰になりあまり見えない。すぐそこでは、大きな空港専用車両に乗った黒人が働いている。たったそれだけのことでも、ここがアメリカであることを実感できた。思わず窓からわずかに広がる空を見上げ、遥か日本を懐かしんだ。日本までの距離もそうだが、これからの2年という研修期間がそうさせたのかもしれない。もう2年間帰れない。研修生OBの誰もが言っていた。「研修は地獄だ」と。僕にはまだその意味はわからなかった。

数時間後、やっと外に出ることが出来た。日本と違い空気が乾燥している。僕は記念に写真を撮ることにした。慣れないスーツにネクタイ姿である。2年後またここで写真を撮ったとき、どんな自分が写っているだろうか。

左が著者(シアトル空港にて)

なんとなく、2年もアメリカにいれば、それだけで大きく成長しそうな気がするが、僕はアメリカが自分を変えてくれるとは思っていない。アメリカでの経験が自己改革のきっかけにはなり得るが、アメリカに流された刹那的な変化は、アメリカへの憧れが生み出す単なる虚像でしかないと思っている。どこにいても、大切なのは自分の考えと、行動、そして自分を信じることだ。そうすれば、2年後、必ず胸を張ってこの場所に帰ってこられるはずだ。

せっかくシアトルに着いたにもかかわらず、街へは寄らず、空港からそのままバスで英語学校のあるモーゼスレイクへ向かうことになった。3時間ほどの短い旅だ。

バスに乗り込むと運転手からサックランチを貰った。開けてみると、なんともアメリカらしくコーラ、オレンジ、サンドイッチ、そしてスナックが入っていた。バスの中ではサックランチを食べ、到着までの間、ずっと車窓に広がる風景を眺めていた。山を越え砂漠の中をひた走る。セイジブラッシュと砂の大地。その光景はアメリカ以外の何物でもない。

僕は、この殺伐とした風景が好きだ。まだ十代だったあのころ、僕は、何かを追い求めてたくさん旅をした。懐かしい景色。考えてみると、最後にアメリカに渡ってから5年の月日が流れている。僕は今、アメリカという国をどのように見るのだろうか、そして日本も。僕は、この5年での自分の変化について考えると、正直不安になった。

僕は、このころ自分に自信を失いかけていた。もう、あのころのような少年の心なんてないんじゃないか、と思っていた。事実、アメリカに到着した瞬間、感動しなかった。

人は年齢と共に変化する。人間としての深みが増す。しかし、中には受け入れ難い変化というのもある。そういったことに直面したとき、誰でも多かれ少なかれ悩むものだろう。僕も、自分の変化を感じてはいたが、それを前向きに捉えられずにいた。だが、広大な風景を前にすると、次第にそういった気持ちから開放され、半ば開き直りに似た気持ちを感じた。

人生の評価は自分でするものだ。他人なんかに評価されてたまるものか。2年後なんて2年後になってみないとわからない。成るようにしか成らないのだから。心の中で、そんな言葉がこだまする。僕は、きっとみんなに期待されているような研修成果を出さなければならない、と思い込んでいたんだ。自分が自分じゃなかったら、他に誰が自分なんだ。研修生の壮行会の席で僕の隣にいた人が名刺をくれた。その名刺の裏には、坂本竜馬の事実上の自生の句といわれる言葉が刷られていった(実際の句とは多少違いますが、ここでは名刺に書かれていた通りに書きます)

「世の人は 我をなんとぞ 呼ばば呼べ 我が成すことは 我のみぞ知る」

研修中、僕は何度もこの言葉を反芻した。数百年も昔に生きた志士の言葉が、現代に生きる僕を励ましてくれた。

大学は思い描いていた様な街にあるのではなく、砂漠の中に寂しくポツリとあった。到着後、すぐに入寮し1ヶ月半の英語研修が始まった。

授業は。会話が中心で楽しく英語が学べる。先生は若い女性で、アメリカ的な価値観を押し付けてくることもなく、むしろ、日本人である僕たちのことを理解しようとしてくれる人だった。僕達と接することで彼女は日本に興味を抱いたのか、僕たちが学校を去った後日本へ渡ったと聞いた。

寮は大学内にあったので、青春映画のようなキャンパスライフを期待していたのだが、ちょうど夏休み中で、ネイティブの学生は誰一人としておらず、研修生だけの勘違いアメリカンキャンパスライフを送った。点呼で一日が始まり、門限までに部屋に帰り、また点呼があり消灯。遊ぶほどの金もなく、街も遠く、しかも禁酒。これじゃあ合宿だ。合宿状態を抜け出すには、自分で楽しみを作るしかなかった。いろいろと足を運んだ僕は、乗馬やセスナの運転など、わずかな時間で存分に楽しんだ。もちろんタダだ。結果的に、いろいろな制約があったからこそ新たな引出しができたといえる。

週末には街中を散策してみた。街はそれほど大きくない。人口2、3万か。ダウンタウンには古びた商店が連なっているが、活気は感じられない。典型的なアメリカの田舎町といった感じだ。郊外にはWAL MARTがあり、そこは、唯一この町と文明社会の繋がりを感じる場所だった。

夜は研修仲間との語らいタイム。多くの研修生はこれからの2年に対し、何らかの目標を持っていたようだが、僕には目標といえるものはなかった。なかったというより、必要ではなかった、と言うほうが正しいのかもしれない。

僕は、研修の成果ということを考えた時、それは決して目標を達成したときだけに得られるものではないと思った。肉牛専攻で来たのに、毎日ジャガイモ拾いをしたって研修の成果はあるだろう。馬に乗れず、毎日牛の餌やりで終わったって同じ事だ。必ずしも、日本で思い描いていたようになるとは限らない。また、英語が喋れるようになることを第一目標に掲げる人も多いようだが、この研修において、本当にそれを目標にしなければならない事なのだろうか。アメリカで特別なこととは英語だけではないはずだ。日本では見られない世界が、それこそごまんとある。また、農場では英語圏の人のほうが少なかったりする。環境や境遇を知らずして青写真を作るべきではない。青写真を作るのは研修を終えてからだろう。

研修は登山ではない。今すぐ頂上に辿り着く必要なんてないのだ。麓で石拾いしてたら、知らぬ間に2年経ってた、それで構わないと思う。いつか頂上に立つ為に必要なことを学ぶのが、この研修なのだから。この研修は、カウボーイになりに行くものでもなければ、英語を学びに行くのでもない。もしかしたら、農業すらも学びに行くものではなく、将来に何らかの形で役に立つ2年を送れば、何でもいいのかもしれない。とにかく、僕は目標に向かっていくのではなく、今日一日のことだけを考え、毎日を送り、ただ2年が過ぎるのを待つことにした。何を学んだかは研修後に振り返ればいい。あの頃は、2年後にカウボーイになっていようが、ファーマーになっていようが、どっちでもよかった。明日のことなんてわからないのが研修だ。明日がわからないのに2年後なんて考えたって無駄だ。目標がない分、道に迷うこともあるだろうが、その時々の自分の気持ちに正直に動けば、きっと後悔はしないはずだ。また、目標がないからこそ拓く道もあるといえる。そう考えると、今の自分がわざわざ将来の自分を決定付ける必要なんかない。それでは面白くない。先のことは考えず、一日一日を大切に生きてれば、夢や目標なんてなくても、しかるべき時にしかるべき場所にいるはずだ。

英語研修が終わる頃には、僕は自分に自信が持てるようになっていた。

一ヵ月半の語学研修を終え、次に予定されている3ヵ月間の短期農場実習が始まった。専攻外の業種で行われる為、派遣先はワシントン州ブリュースターのリンゴ農園だ。短期農場先での僕の仕事は、トラクタードライバーである。ピッカーが収穫したリンゴを、僕たちトラクタードライバーがトラクターを使い移動する。農場には、収穫ピーク時には1000人を越すメキシカンが国境を越えやってきた。彼らの大半は不法入国者である。彼らを抜きにアメリカの農業は語れない。彼らがアメリカの農業を支え、発展させているのだ。

ここでの経験や光景、僕の感じたことは全て今までにないものであった。

これらはウエスタンとは少し離れるので、ここではこれ以上詳しく述べないが、石川 好氏が70年代のカリフォルニアのイチゴ農場での体験を綴った「ストロベリー・ロード」に描かれている世界そのものであった。氏の見解に同調するところは多い。まだ読まれたことのない方には、一度読むことをお勧めする。リアルなアメリカを知ることができるはずだ。

余談になるがこの農場で生まれて初めてオーロラを見た。感動。

短期農場実習を終えた僕たちは、再びモーゼスレイクへ戻り、一ヶ月半の語学研修を受けた。今回は、各自の専門学習が中心となる。僕でいうと畜産学だ。専攻別のフィールドトリップもあり、実際の市場や農場に行きアメリカの農業を学ぶことが出来る。

語学研修も終わりかけた頃、派遣農場先の発表が行われることとなった。僕は、肉牛の中でも肥育ではなく、繁殖を希望していた。繁殖のほうがカウボーイをする確率が高いからだ。しかし、近年アメリカでも本格的にカウボーイをするところは減少傾向にある。研修生を受け入れている農場でも、カウボーイをする肉牛農家は、今では一軒しかない。

派遣先は協会職員が面接を行い、こちらの希望にあわせ決めていくわけだが、当然、カウボーイの人気は高く、入れるかどうかはわからない。しかし、天は僕に味方した。派遣先は、アイダホ州ロジャーソン。カウボーイのできるところだった。

12月、いよいよランチへ出発の日となった。ポートランド経由のバスでアイダホのツインフォールズまで行く。一日半以上の長旅だ。この半年で、荷物は抱えきれないほどまでに増えていた。

ポートランドに着くと、チャーターバスからグレイハウンドバスへと乗換える。グレイハウンドバスターミナルで荷物をチェックインすると、出発までは時間があったので、バーに行くことにした。語学研修中は、バーへ行くことが禁止されていたので、ここが天国のように思える。

通りで見付けたマイクロブリュワリーに入った。何もかもが久しぶりだ。ステージではジャズトリオが生演奏で雰囲気を作り、テーブルでは若いカップルがチェスに興じている。そして、角の席では芸術家と思しき男二人が、一つのカンバスに絵を描いていた。小さなところだが、外とは全く異空間の様相だ。

カウンターでビールを頼み、浴びるように飲み干す。うまい!!ビールってこんなにうまかったっけ?あまりのうまさに店のオリジナルビールを始め、片っ端から飲んでいった。

気分も良くなってきたので、僕も絵描きたちに交じって飲むことにした。絵描きの片割れが日本に行ったことがあるというので、いろいろ話し込んでいると、バーテンまでもがいっしょになって飲みはじめ、大宴会になってしまった。バーテンは、勢いでSAKEを一本やるから空けろ、なんていう始末だ。しかし、この絵描きは、ひどくまとまりのない絵を描いている。聴けば、なんでも出会った人みんなで完成させる絵だから、おまえも描けと言ってくる。僕は良く覚えていないが、確かカンバスに「和」か「響」と書いた気がする。

バスの時間が近くなったので、みんなにお礼と別れを告げると、ターミナルへと急いだ。このときは知る由もないが、次にバーへいけるチャンスが訪れたのは、一年以上先のことだ。

さすがに泥酔だ。ふらふらになりながらも、ターミナルから日本に電話を入れた。お世話になった人たちに「がんばります」と一言伝えたかったのだ。それ以外の内容は記憶にない。バスに乗ると気分が悪くなり、トイレの中で吐きまくった。明日は明日の風が吹く。僕には最高の船出に思えた。

気が付けば、陽は疾うに昇り、お昼になっていた。酷い二日酔いだ。車窓にはのどかな風景が広がっている。僕が行く牧場は、かなり大きな牧場と聞いていたので、牛を見かける度に、牧場に着いたのかと思い、胸が踊る。それでもバスは止まる気配なく進み続けた。

「Twin Falls, Twin Falls」

こじんまりした街に入るとアナウンスがながれた。僕にとって長旅に終わりを告げるアナウンスだ。降りると、白人の兄ちゃんと、カウボーイハットを被った日本人が立っていた。

「研修生か?」
「はい。」
「遅かったな。モーゼスレイクは寒かったか?」
「ここよりも寒かったです。」

これ以上、白人の兄ちゃんと会話が弾むことはなかった。 挨拶もそこそこに、車に乗り込むと、買い物へ行くことになった。

最初の給料を先払いで受け取る。チェックの額面を見ると、$350と書いてある。これだけかよ!食い物買って、作業服買えば消えそうな額だ。すると、ありがたいことに先輩研修生が、今回に限っては食費を奢ってくれるという。助かった。

スーパーに行き、一ヵ月分の食料を買い込むと、今度は作業服を買いに向かった。農協のようなところに着き、中に入るとカウボーイ用品がたくさん置いてあった。いま必要なのはロープやチャップスではなく、防寒具だ。防寒ブーツ、皮手袋、アメリカといえばcarharttだ。carharttのジャケットを買い、帰ることになった。

いよいよ、これから一年半の牧場生活が始まる。しかし二日酔いの僕は、そんなことで感傷的になる余裕もなく、車の中で早々と眠りに就いた。

(第3回へ続く)

2006年 3月 3日掲載
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