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僕はこうしてカウボーイになった

これは、一人の青年がカウボーイになった人生の記録である。

第1回 I am a trainee!!

第2回 Legend of the Twin Falls

第3回 ランチ生活の始まり

第4回 カウボーイの姿

第5回 開発と開拓

第3回 - ランチ生活の始まり 

藤川 勇 著
 1979年 愛媛 生まれ

誰かに肩をたたかれ目が覚めた。どれくらいの間寝ていたのだろうか。辺りはすでに夜が更けて真っ暗だ。自分がどこにいるのかもわからない。

目を凝らすと前にボロ小屋が見えた。どうやらランチに着いたようだ。

「See ya.」

僕たちが車から降りると、すぐさま兄ちゃんは帰っていく。

あれ?歓迎パーティーとかはないのかな?カウボーイならBBQパーティーとかやるんじゃないのか?

映画の世界のような出迎えを期待していた僕は少し肩透かしを食らった気分になった。

「家はこっちだ。」

そう言いながら先輩は先程のボロ小屋の中へと入っていった。

まさかこれが家じゃないだろうな?

僕は不安になりながらも先輩のあとに続いて入っていった。

なんだこれは。

テーブルやソファーが置いてあるので、家には間違いないのだが、それにしてもこの散らかりようはないだろう。

中は言葉では言い表せないほどの異様な雰囲気だった。衣類や食器がところかまわず散乱していて、家具も所狭しと置いてある。それらすべてはウエスタンでもなければ和風でもない。天井は崩れかけ、いたるところに蜘蛛の巣がはり、薪ストーブの煤で部屋全体が黒ずんでいた。

それにしても部屋の中なのになんで外よりも牛臭いんだ。奥の部屋に進んで行くと、床には汚れた衣服が無造作に脱ぎ捨てられ、あたり一面に藁がぽろぽろと散乱していた。ふと壁を見ると、ところどころには過去の研修生の想いであろう落書きが残されていた。

「風景とは いわば心の祈りである」
「Lost time has never found.」

今までに、これほどまでに痛々しく孤独感漂う落書きは見たことがあっただろうか。ここには修行僧も来ていたのか??

僕は、これからこんなところに一年半もの間住まないといけないと、思うと不安になった。

仕事はさっそく翌朝から始まった。昨日は暗くて周りの様子を確認することはできなかったが、辺りは一面見渡す限りの雪原が広がっていて、遥か南には山々が連なっていた。辺りを見回してみても人工的なものは一切見えない。まさに荒野だ。

それにしても寒い。氷点下10度はいってそうだ。

この日は朝7時から仕事だった。この牧場は仕事の進め方が少し変わっていて、一部の例外を除き、朝みんなで集まって一日の仕事内容を話し合ったり、誰かが仕事の指示を伝えにくることはない。冬場などは決められた仕事があり、それで半日以上費やすことになるので、あまり困ることはないが、それ以外の空いた時間や夏場などの決められた仕事が少ない時期は、仕事を各々が決めるようになっているので、仕事探しに四苦八苦することもあった。こういった形態だと、日本でよくある、定時に同じ場所で「おはようございま〜す。」、「お疲れ様でしたぁ」みたい事にはならない。こういったことから、他人はおろかワーカーでさえ会わない日が度々あった。だからといって、みんな見えないところでサボったりはしていなかった。むしろ、僕の印象だと彼らは日本人以上に働いていた。

さらに始業、終業の時間もあまりに早すぎたり遅すぎたりすると怒られるが、大体は自分で決めるようになっていた。

こういった形態は慣れればマイペースで仕事ができるのでいいのだが、肝心なときに誰がいつ、どこにいるかわからないので困る。捜しに行くにしても牧場は香川県ほどの大きさがあるので並大抵のことではない。世の中には携帯という便利なモノがあるが、ランチは圏外になるので使えなかった。

牧場での初仕事は牛、馬の給餌(フィード)だった。夏は放牧されているのでランチにはいない牛、馬が冬になると餌不足の為、母牛(カウ)以外はランチ内の檻(ペン)や周りの放牧地(パスチャー)に入れられる。この牛や馬へのフィードがしばらくの間は僕の主な仕事だった。

ペンやパスチャーといっても大小さまざまで、ペンでは大きいもので200頭前後の牛(月齢8ヶ月〜)が入れられる。形式はフィードロット(肥育用ペン)で僕たちの牧場にはこれが4つあった。小さいペンは病気の牛用で1〜20頭ほどが入れられる。パスチャーはかなり大きく、数箇所に分けられてはいるが、合計2000頭(月齢8ヶ月〜)ほどの牛が入れられていた。馬はサドルホースのみランチ内のペンに入れ、それ以外は放牧されていた。僕が世話をするのは病気の牛、近くのパスチャーにいる牛、そしてサドルホースも含めたすべての馬(200頭前後)だ。ただし、世話といっても日本とは全然違うので、日本で言う世話を想像してもらっては困る。ようするに餌は与えるが、それ以外は完全に野放しだ。

まずは先輩に教わりながら病気の牛にフィードする。気を使うが、ただ乾草(ヘイ)やミネラルをやるだけなので楽な仕事だ。馬のフィードも同じような感じで進める。それ以外の手入れは乗るとき以外することはまずない。

本来ならこの後パスチャーにいる牛のフィードに行くのだが、この日はフィードロットの餌桶の掃除をすることになった。これは週に一度位のペースで行うらしい。

それにしても一向に人に会わないな。せめてボスに会って挨拶ぐらいはしたいのだが。

ショベルを持ってフィードロットに行くと、長さ200メートルほどのコンクリート製の餌桶があった。

一週間分の食べ残した餌をショベルできれいにすくい取っていく。見た目とは裏腹に、冬場でも汗が吹き出るほどキツイ。

ふと顔を上げると、前方からピックアップが向かって来ていた。誰かが僕に会いに来ているに違いない。結局、昨日は誰も出迎えてくれなかったからな。

案の定ピックアップは僕たちの前で止まり、窓からオッサンが顔を出した。僕はなんて自己紹介しようか迷っていると、その人は僕にではなく先輩に声を掛けた。あれ、僕じゃないのか。どうやら仕事の話をしているようだ。それにしても、もし僕の家にアメリカ人が来たら、まず挨拶するけどな。

そんな事を思っている、とその人は僕に話しかけてきた。

「How are you? 」

先輩は、すかさず彼がボスである事を僕に教えてくれた。

「I'm fine. 」
「What's your name? 」
「I'm DJ. 」
「OK. Have fan. 」

それだけ言うと、ボスはもと来た道を引き返していった。

言い忘れていたが、僕はアメリカにいるときはDJと名乗っている。

しかし、またしても肩透かしを喰らった気分だ。今まで数多くのアメリカ人に会ってきたがこんなのは初めてだ。ベラベラと自分の話や質問を捲くし立ててくるのかと思っていが、そんなそぶりは一切ない。少なくとも今までに出会ってきたアメリカ人はみんなそんな感じだった。

「ボスってどんな人ですか?すごく優しそうですね。」
「そうでもないよ。」

そのときは先輩の言葉を疑ったが、僕は後々それについて嫌というほど思い知らされることになる。

次の仕事は普段通りパスチャーにいる牛のフィードだというので、歩いてフィード用のトラックまで移動していると、今度はメキシカンに出会った。僕はメキシカンとの相性がいい。今まで出会ったメキシカンとは、みんな兄弟のように仲良くなった。

スペイン語にもそこそこ自信のあった僕は、親しみが湧くだろうと思い、スペイン語で自己紹介した。

結果はボスのときより酷かった。

ランチにはボス以下6人のワーカーがいるが、最初の対面はみんなボスのような調子で終わった。ボスの次男との挨拶のときなどは、彼が馬に鞍を着けていたので「馬に乗りたいです。」と試しに言ってみると「No.」とだけ言われ、冷たくあしらわれてしまった。今考えてみると彼の対応が当然といえば当然なのだが・・・

僕たちはフィードトラックに乗り込み最初のパスチャーへと向かった。

この日は先輩に言われるがまま仕事を行い、よくわからないうちに一日が終わった。風景、トラック、餌のやり方、牛の飼い方など何もかもが日本とは違い、豪快だったことを覚えている。さすがはアメリカだ。

フィードの手順は、まずパスチャーごとに大抵設けられている乾草の梱包(ヘイベール)数千個が、山のように積み上げられてある(ヘイスタック)場所(スタックヤード)までトラックで行く。そして、そこから一個25〜40kgほどのヘイベール一個一個を手でトラックに積み上げていく。ヘイベールの一回の必要量はパスチャーにいる牛の数によって違うが40〜90個ほど。積み終えたら牛がいるフィールドに行き、一人が荷台に移り、呼び声であちこちに散らばっている全ての牛を呼び集め、全てが集まったところでフィード開始。徐行をしながら地面に直接ヘイをばら撒いていくのだが、このときどう撒くかで食いが変わってくるのでいい加減なことはできない。こうして1つのフィールドが終われば、また次のフィールドに移動し同じことを繰り返す。最後までやるとヘイベールの量は最盛期には800ベール近くになるので大仕事だ。

僕にとってこの一年半で一番思い出深いのは、意外に思われるかもしれないが、ブランディングやライディングではなくこのフィードだ。フィードは簡単そうだが体力もいるし、奥が深い。そして、なによりも初めての仕事というのもあったかもしれないが、とにかく苦労が絶えなかった。

どのような苦労かというと。

まずベールについて。

とにかく重い。重労働のため、頑丈な皮手袋も2、3週間で穴が開いた。金がないので新しい手袋を買うこともままならず、捨てるときにはほとんど原形をとどめてなかった。また、冬場なので環境もかなり苛酷だった。ベールは紐で縛られていて、それをナイフで切るのだが、寒い日が続くとベールが凍り付いてナイフのほうが折れてしまうこともあった。

次にトラックの問題。

荷台の高さもアメリカンサイズなのか高く、慣れないうちは積み上げるだけでも大仕事で、初日は余裕で筋肉痛になった。しかし、どんなにしんどくても牛飼いに休みはない。僕はクリスマスも、正月も、土曜日も、日曜日も、一日たりとも休まず、日の出から日の入りまで働き続けた。4月には、牛は再び砂漠へと帰るのでフィードは終わるのだが、結局それ以降も休みはなく日本に帰るまで1日も休むことはなかった。また、僕がいた農場は休憩が昼にしかなく、それ以外は休むことなく仕事をするので家に帰る頃にはクタクタになっていた。労働時間は、短くて10時間だが、夏場はほとんど毎日14〜17時間労働だった。フィードの合間のフィールド間の移動中、トラックの荷台に載せてあるベールの上に寝そべり、空を見上げては日本を思い出した。同時にこの瞬間は、最もアメリカを感じる瞬間でもあり、好きだった。

さらに、トラックは古いシェヴィー(GMCだったかも)で信じられないくらいすぐ壊れた。機械はほとんど自分で直すのだが、素人なので当然時間が掛かる。無事修理を終え、フィードも終わり、やっとの思いで家に帰ったころには夜中、ということも度々あった。

最期に、荒野でなによりも怖いのがスタックとパンクである。

砂漠でスタックしようと思えばすぐだ。特に雪や雨が降っていれば四駆でもスタックすることがある。こんなところで僕は二駆のトラックに乗り、毎日フィードをしていた。スタックしないほうが難しい。何度ランチまで走って帰ったことか。フィードのときではないが10キロ以上走って帰ったこともあった。さらにある晩には、夜中にカウボーイが訪ねてきて、笑うに笑えない話をしてくれた。彼のピックアップがスタックし、20マイルという距離を歩いて帰ったのだという。哀れなやつだ。見知らぬ人が夜中に電話を借りに来ることもよくあった。彼らがどれほどの距離を歩いたのかは知らないが、周囲数十キロ以内に家らしき家はない。

とにかく荒野でスタックは避けられない。

荒野でスタック・・・かつて、パイオニアたちはこれで多くの命を失ったことだろう。

カウボーイ小話

カウボーイはいつでもカウボーイハット、カウボーイブーツかと思ったら違うらしい。冬はさすがに仕事中だけは防寒キャップ、防寒ブーツだった。ただしベースボールキャップやニットキャップを被ることはまずない。(絶対被らない人もいれば、たまに被る人もいる)でも、夏はいつでも全身ウエスタンかな。

ジーンズはやはりラングラーが多いが、うちのボスは仕事中だけはリーバイスだった。履き心地がいいらしい。ここで僕が言いたいのは、なんでも自分に合うのが一番ということだ。それが一番カッコイイ!!ウエスタンに決められた型はない。自分に合うもの、そしてまずは、その用途を知ることが大切だろう。ちなみに向こうのカウボーイは、ハットやブーツなどほとんどがカスタムメイドのものを着用しています。本物になりたい人は世界で一つのものを手に入れよう。

(第4回へ続く)

2006年 4月12日掲載
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