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僕はこうしてカウボーイになった

これは、一人の青年がカウボーイになった人生の記録である。

第1回 I am a trainee!!

第2回 Legend of the Twin Falls

第3回 ランチ生活の始まり

第4回 カウボーイの姿

第5回 開発と開拓

第4回 - カウボーイの姿 

藤川 勇 著
 1979年 愛媛 生まれ

アイダホ州 ロジャーソン ブラケットランチ、古きよきアメリカの幻影と現実が共存する場所

2003年、僕はそこにいた。


二週間もすると、かなりの疲れがたまり、既にここから逃げ出したい気分になっていた。

そんなある日、二日に一回だけ配達される新聞や手紙の仕分けをしていると、先輩宛てに一通の手紙が来ていた。差出人はネブラスカ大学だった。

仕事を終え、家に帰り、手紙の中身を見た先輩は、こぶしを握りしめ声を出して喜んだ。内容は「どのようなホストファミリーを希望するか」というアンケートだった。

僕たち研修生は、プログラムの一環で長期実習13ヶ月目からの3ヶ月間を専攻ごとに決められた大学に入学し、農学を学ぶことになっている。その間はホストファミリーの家でお世話になるのだが、先輩が受け取った手紙はそれに関するものだった。

先輩の喜びようは、宝くじでも当てたのかと思う程で、まさに狂喜乱舞といった感じだったが、それも当然だろうと思った。先輩はこの一年間、一日も休みを貰ったことがないのだから。

あくる日からの先輩は、昨日までとは打って変わって、仕事中でも終始楽しそうで、特に仕事が終わってからの家での団欒では、笑顔が絶えなかった。

僕が、今先輩の感じている喜びを味わうまでには、まだ365日もある。当時の僕には、それは果てしない日々のように思え、ますます辛い気持ちになった。

クリスマス、僕たちは相変わらずパスチャーでフィードをしていた。

フィードは一日二回、午前と午後に分けられていて、午前の部は11時頃終わる。それから午後のフィードまでは普段は作業場(ショップ)で機械をいじるか、パスチャーのフェンスを直すなどの雑用をするのだが、この日は違った。なんと、初めてボスから昼食に招かれていたのだ。

日曜、祝日は、フィード要員以外はみんな休みなので、僕たちがボスの家に着いたときには、ボスの家族は全員揃っていた。

昼食を済ませ、団欒に入るがいまいち落ち着かない。こういうときこそ、ボスとコミュニケーションを取ることが大切なのはわかるが、ボスは寡黙なところがあり、近寄りがたい雰囲気がある人なので、僕はこういう日でも彼に話しかけられないでいた。しかし、せっかく家に招いてもらったのだから、このまま帰るわけにはいかない。僕は何とかボスとの距離を縮めるきっかけを掴もうと思い、僕からのクリスマスプレゼントということで歌を歌うことにした。実は、この日のために家にあったギターで練習していたのだ。

曲目は「上を向いて歩こう」ほか2,3曲。

反応は上々だった。ランチに来てまだ一ヶ月も経っておらず、ボスとは距離があったが、これで少しは良い印象を持ってもらえたかもしれない。

そうこうしているとフィードの時間が来たので食事のお礼を言い、ボスの家をあとにした。

僕はいつもどおりフィードを終わらせ家に帰り、ストーブに薪をくべ、テレビをつけた。世界中では楽しいクリスマスが迎えられている。チャンネルをひねっても他には何も映らない。ここは電波すら届かない僻地だ。

僕はテレビもろくに映らないところにいるのか。もしかすると、僕はアメリカに来たのではなく、農場に来たのかもしれない。事実、自分の足でここから出たことなんて一度もないじゃないか。

それからも、帰国するまでの間、僕が自分の足で農場から出ることは一度もなかった。

出かけたくても、自分一人でここから出ることは許されていない。仮に出かけたとしても遊べるほどの街がない。話し相手もいなければ、ここを訪れる人もいない。ろくに映らないテレビから流れ出てくる言葉は、疲れているときには耳障りな英語ばかり。

こういったことは覚悟の上だったが、荒野での生活は、日本で育った僕にとって想像以上に過酷だった。

こんな生活を送っていると、次第に自分自身を維持することが難しくなってくる。僕は、このままでは心が押しつぶされてしまうのではないかと感じていた。

日本に帰りたい。

だけど、よく考えてみれば、これが本当の自分なのかもしれない。日本にいれば、本当の自分というものは、集団や社会にかき消され、実はよく見えていないのかもしれない。

人間とは弱いものなのか?それとも強いものなのか?

僕はここでの生活から、弱さと強さ、両方を持ってこそ人間なのだろうと感じた。

ときには弱くていいんだ。それが人間なのだから。

一月、先輩はネブラスカへと発った。


ランチにはボスの家族を除くと、常勤では僕たち以外に3人のワーカーがいた。白人のジョーとジョシュ、そしてメキシカンのサンタ。彼は不法入国者だ。

三人共ランチ内に住んでいたので、みんな毎晩のように僕の家に遊びに来ては、ポーカーなどをして遊んだ。ボスの三男のジェイクもランチ内に住んではいたが、彼が来ることは一度もなかった。初日に僕をバス停まで迎えに来ていたのは彼だ。

アメリカ人、とりわけ労働者はカードゲームが好きな人が多い。クォーター以下の小銭を賭け、勝っただの負けただのと大はしゃぎをする。小銭しか賭けないので小遣い稼ぎ程度にしかならないが、そのぐらいのほうが勝っても負けても怨みっこなしなので盛り上がる。

日本では、カウボーイは酒飲みということになっているが、実はこういったポーカーなどをしている時でも、基本的には飲まない人のほうが多い。理由としては、単に保守的であったり、宗教の問題であったりとまちまちだが、カウボーイ特有のものを上げるとすれば、酒と馬の関係だろうか。

酒と馬を結びつけることは危険だ。飲酒での乗馬は、死に至るケースもある。僕が見た限りでは、カウボーイとしてのプライドが高い人ほど飲まない傾向にあった。また、煙草にいたっては99.9%の人が吸わない。そのかわりに何をするのかといえばチュー(噛みタバコ)だ。

チューは煙草と違い両手が空くから作業がしやすいのだろう、労働者にはチューをする人が多い。しかし、カウボーイがチューを選ぶのには、別の理由もあった。それは、昨今の嫌煙風潮とかそんなものではなく、煙草の火による火事を防ぐことだ。

牧場内には牧草や藁など引火しやすい物がたくさんある。こういったものは日本とは違い空気が乾燥している分、灰が落ちただけでもすぐに火事になることがある。だから、車で牧草を運ぶときには車内でも禁煙だった。また、砂漠では頻繁に自然発火による火災も起こっていたが、火災が起こった土地は草がなくなるので、鎮火後にはヘリで草の種を蒔かなければならなかった。

こういった事情があることから「カウボーイ=コペンハーゲン」となっている。「カウボーイ=マルボロ」ではない。

彼ら三人は、普段はくだらないことばかり言い合っている単なる優しいアメリカ人やメキシコ人だったが、仕事になると顔つきは一変した。

カウボーイに限らず、アメリカの農場で生きる者は、なにもかもを自分でやろうとする。これには、コスト削減の狙いもあるが、最大の理由は「自分がやらなければ、誰も助けてくれる者はいない」ということだろう。

僕が今いるランチにしろ、以前いたリンゴ農家にしろ、仕事がどんなに専門的なものであっても、彼らはそれらを業者に頼むことはほとんどなかった。これには、偏狭の地という環境も関係あるのかもしれないが、それよりも僕は「自分のことは自分でやる」、「自分の人生は自分で切り開く」といった、彼らの人生に対する考え方が大いに関係しているのだろうと思った。これは日本でも同じことが言えるが、特にアメリカという国では、この考えを持たない者は、夢を掴むことはできない。

彼らの生き方において私的な面はここでは控えるが、仕事に関して言えば、こういった生き方を何年にも渡って実践しているからだろう、彼らの持っている技術力には本当に驚かされた。

例えば、どんなに複雑な機械整備であろうが、日本人にとっては大規模に感じる土木工事であろうが、彼らはそれらを難なくやり遂げた。それ以外にも、ハンティングで得た獲物や怪我をした牛を潰したり、レザークラフトが出来たりと、さまざまな技術を持ち合わせていた。しかも、十代の若者でもそれらを軽くやり遂げる。しかし、日本人はどうかというと、溶接すらろくに出来ない。ましてや、車やトラクターの整備など論外だ。もちろん、日本の農家も似たようなことはするが、規模は当然としても、技術力も全体で見るとアメリカ人のほうが上だと感じた。

アメリカでは、カウボーイを「かっこいいからなる」といった表面的なものではなく「職業であり、生き方」として捉えている。

カウボーイとはいったいどんな職業かというと、厳密に言えばご存知のように馬を使い、牛を移動させる人のことなのだが、これは一昔前のカウボーイの姿であって、現在では、これだけを仕事にしているカウボーイは少ない。僕の知る限りでは、こういったカウボーイはシンプロットという牧場にいるだけだ。

とにかく、牛を飼うためには移動だけでなく、いろいろな仕事をしなければならない。放牧とは牛の特殊な飼い方である。その特殊な方法で牛を飼うカウボーイとは、言うなれば職人ということだ。職人気質とは、彼らカウボーイがよく使う言葉の一つである「プライド」という言葉に言い換えてもいいだろう。彼らは、日々、職人としてカウボーイの技を磨き、その技に誇りを持ち、だからこそ堂々と生きる。プライドの高さは、その人の歩んできた道の長さや険しさに比例するといってもいい。所詮、中身のないうわっつらだけの半端な生き方では胸を張って生きられないだろう。

このように、大人が誇りを持って生きているからこそ、若者もそれに憧れを持ち、自分もそうなりたいと技術を身に付けていく。カウボーイといった職業に限らず、大人が誇りを持って生きれば子供も後に続くのだ。いい例として、ボスの三人の息子たちは、皆、小さいときからカウボーイになりたかった、と言っていた。もちろん、今では全員立派なカウボーイだ。誇り高く生きる父親に憧れるのは当然のことであろう。

過去には、日本でもこういったことが当たり前のようにあったと思うが、今の日本は、おかしなことにそれとはまったく反対で、親とは同じ職業に就きたくないと言っている若者の方が多い気がする。本当の豊かさとは何なのか。

僕はここでの生活から、アメリカという国が大国なのではなく、アメリカに住む一人一人がアメリカを世界一の大国にしているのだろうと身をもって感じた。


僕は渡米前、正直アメリカという国をなめていた。なんでも粗雑でいい加減なことばかりだと思い込んでいた。

しかし、現実は違った。

仕事は細かく丁寧でしかも合理的な分、能率もよく、早かった(接客業は別にして 笑)。仕事に対する志も高く、コスト意識がしっかりしていて、経営レベルも同じく高かった。なによりも彼らからは「自分の手で人生を切り開く」という強い意志を感じた。彼らを見ていると、彼らはいまだもって開拓者であり、アメリカは現在進行形で開拓時代なのだと感じた。

こういった状況だからか、僕たち日本人はお呼びではないといった感じで、研修生の待遇は、言葉は悪いがまさに奴隷だった。

意外に思われるかもしれないがアメリカは上下関係が厳しい。絶対王政、封建社会といった言葉がぴったり当てはまる。言うなればボスは王だ。そしてランチは王国で治外法権が認められている。たとえ黒いものでも、ボスが白と言えばそれは白だった。

とにかく、アメリカ人からしてみれば当たり前のことを日本人はできないので、僕たちは犬のような扱いを受け、精神的にも追い込まれ、今までに感じたことのない感情を懐き、毎日が屈辱の連続だった。いま「日本人は」と書いたが、彼らは僕たちを決して個人としては見ない。だから、なんにつけても「あいつら日本人は」と一括りになるわけだ。とりわけ、長期間に渡り研修生を受け入れている僕の農場では、すでに日本人のイメージは出来上がっていた。日本人というだけで「使えない奴」だった。すなわち、僕はアメリカ人を越える前に、まず過去の研修生を越えなければ、個人として認められはしないのだ。

では、いったいどうすれば認められるか、そして、どうすれば今までの研修生との違いが出せるのかと考えた。

すぐに出てきたのは「自分に出来ることは限られているので、その限られた事を出来るだけ早く、丁寧に、ミスなくやること」だった。

しかし、考えてみればそんなことは過去の研修生全員が心がけていたに違いない。だから、これは言い換えれば当然やらなければならない当たり前のことだ。

それでは、それ以外にいったいどこで差をつければいいのか。

先輩たちは、彼らがただ「アメリカ人」というだけで媚びへつらい、日本人として潜在的劣等感を懐いていた。

そして、それは少なからず僕にもあった。

僕は「Japanese Trainee」ではなく「DJ」になる。そう心に決めた。すぐに認められようとは思っていない。僕がランチを去るときに「今年のJapanese Traineeはよかった。」ではなく「DJはよかった。」そう言ってもらいたかった。


先輩がネブラスカに行った直後、ジョシュがランチを去った。彼は最後、ボスに内緒で僕を街へと連れて行ってくれた。その夜、僕たちは飲酒運転で捕まり、彼は拘留され、僕は彼の親に家まで送ってもらった。

彼は僕よりも若いが、誰もが認める素晴らしいカウボーイだった。今は自分のランチを持ってがんばっていると聞いた。

つづく

カウボーイ小話 - 2

チュー(コペンハーゲンなど)をするカウボーイが4人いたが、そのやり方には驚かされた。

(1)車内にて…なぜかみんな唾を外にではなく、床かドアに吐きつけていた。特にドアのスピーカー辺りは、唾とヤニでベタベタだった。

(2)部屋では…アルミ缶の上半分をうまく切り取ってコップのような形にして、その中に唾を吐く。コップのようにするのは飲み口からでは唾がうまく入らないからと、そのままだとジュースかと思って、間違えて飲むヤツがいるから。みんなで回し溜めした後は、とてもじゃないが見られないし、処分に困った。


最後に、最近思うことを少しばかり・・

日米の馬の考え方にはかなり隔たりがあるように感じる。

あるサイトの書き込みを見て、日本のウエスタン乗馬のレベルの低さを痛感した。

馬術に大切なのは、乗馬技術だけでなくホースマンシップを持ち合わせることである。僕はどちらかといえば後者を大切にしたいのだが、一部の人にはそれが欠けている。本物のカウボーイ、ランチャー、またはホースマンであるならば、人を中傷するような見苦しい書き込みは慎むべきだ。そして、乗馬技術を磨く以上に労力を費やし、今すぐにでもホースマンシップ、カウボーイの精神を磨いていただきたい。

特にランチャーである方にはこれは急務といってもいい。ホースマンシップやカウボーイスピリットを伝えるのはランチャーの仕事でもあるのだから。

それと、馬はカウボーイにとって道具であるように、本来身近な存在である。乗馬が金持ちの道楽の代名詞ではあまりにもさみしい。これでは日本の文化レベルも疑われる。さらに、日本では馬が金儲けの商品でしかないときている。これでは日本でのカウボーイ文化、ウエスタン乗馬界の発展は望めない。乗馬は大衆の娯楽でありカウボーイには仕事の一部なのだ。高貴なものではない。アメリカでは乗馬が生活の一部として存在し、さらにはそれが文化として根付いている。だからこそ、様々な競技があり、さらにはマーケットも成立するのだ。それらは先ほど述べた精神あってのものだが。カウボーイ文化が日本では骨抜きにされている。マーケットの発展よりも大切なものがあるのではないだろうか。それが理解されれば、おのずとマーケットもできてくると思うのだが。

次に、ガンマンとカウボーイの違いは日本でよく知られているが、カウボーイとホースマンの違いというのはそれほどでもないように思う。

本来、カウボーイにとってのウエスタン乗馬とは、仕事で必要な技術のうちの一つであり、カウボーイの要素のうちの一部でしかない。要するに、カウボーイは馬に乗っているだけではないのだ。

カウボーイは牛を育てている。その中でたまに馬に乗る、というのが現在のカウボーイの姿だ。ウエスタン乗馬だけをするならホースマンである。

日本は、あまりに馬術ばかりに焦点をあてすぎだと思う。カウボーイはホースマンとは違うし、カウマンとも違えばランチャーとも違う。少なくとも僕はそう思う。僕は日本の現状を踏まえたうえで、あえて言いたいことがある。もしカウボーイになりたければ、馬術だけでなく、まず牛の飼い方を学ぶべきだ。ただカウボーイが好きな方も、もう少し牛についても焦点を当て、カウボーイの本当の姿を知っていただきたい。カウボーイの「カウ」の意味を考えていただきたい。

あなたは、牛を追ったことがないのに・・・ウエスタンシャツ、ブーツ、ハットを身に付けただけで・・・ただ馬に乗れるだけで・・・牛も触れないのに・・・胸を張って「自分はカウボーイだ」と言えますか?カウボーイにはいろいろな要素があり、それらすべてを持ち合わせてこそ本物のカウボーイと言えるのです。乗馬だけでは「ホースマン」、服装だけでは「ウエスタンファッション好き」、牛だけでは「カウマン」です。

最後にカウボーイに限らず一番大切なのは、目に見えない部分(精神)ではないでしょうか。カウボーイは職業であり、「生き方」です。

(第5回へ続く)

2006年 5月14日掲載
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