リアルウエスタン > ロデオ > インタビュー > ウィル・ロー
 INTERVIEWS
インタビュー

リアルウエスタンは、チャンピオンになったロデオ・カウボーイにインタビューを開始。

第二弾はベアバック・世界チャンピオンのウィル・ロー氏。野球界でいえば、イチロー、松井に相当するスーパースターであるのに、たっぷりとインタビューに答えてくれた。

第1回 ガイ・ジョハンセン
第2回 ウィル・ロー

2005年 世界ベアバック・ライディング チャンピオン
 WILL LOWE
氏名: ウィル・ロー
国: USA、テキサス州
種目: ベア・バックライディング
団体: PRCA
現状: 活躍中
NFR進出回数:4
2002年レジストール全般最優秀新人賞及びベアバック最優秀新人賞受賞
‐ベアバックに於いて歴代最高金額獲得$188,247
‐世界記録タイとなる94点を取得(ダラス市)
‐ロデオヒューストン、カルガリースタンピード、その他5つのロデオで優勝
2005年世界チャンピオン(2度目)
−ロデオにどの様にして関わったか教えてください
カンザスシティーに「アメリカン・ロイアル」というでっかいロデオがあって、僕が生まれる前から親がそのロデオのシーズン・チケット(定期券)を持っていたんだ。だから、一歳の時からそのロデオを観に行っていて、ロデオを観ながら育ち、家族も農畜業を営んでいて、ロデオ関連ではないけど牛とか馬とかもあって、物心ついた時からロデオがしたかった− カウボーイになりたかった。

- どうしてベアバックを選んだのですか?他の種目も試しましたか?
あぁ、複数の種目をやってみたよ。7歳の時に「ロデオ」を始めて、牛、とは言ってもその時なら若牛だけど、に親が乗って欲しくなくて7歳用のブロンコサドルも作られてないからベアバックで乗るしかなかったんだ。
- いつごろからサドルブロンコは出来るようになるのですか?
多分高校ぐらい。あの歳でサドルを作ってもらうとなると大分高かっただろう、(ベアバックの)リギングは手にだけ合えばいいけど、サドルは体全体に合う様に作られないといけないからね。だから、多分14歳か高校生ぐらいだろう。
- 初めてのロデオはいつ、どこでしたか?
初めてのロデオはミズーリ州オールデン。
- 最も思い出に残っているロデオは?
多分初のNFRだな。2002年の。
- 世界チャンピオンとNFRを除いた最も思い出に残っている勝利は?
2003年のオマハだな。カナダのケスラーのスカイ・リーチって馬で94点取った。これは世界記録に並ぶ得点で数年後にデーブ・シールズが破るんだが、NFRを除けばそれが最も思い出に残るロデオだな。

- 名指しでなくともいいのですが、今まで最も最悪のロデオ、または今までロデオした中で最も最悪のコンディションを教えてください。
どうだろう。僕にとって最悪はすごい寒い時だな。ロデオに関係なく、寒いとリギングに入れたときに手が痛むんだ− それもすんごい痛む、何せ革が冷たくなって柔らかくなくなってるから、寒い所のロデオはどれでも最悪だな(笑)雨とかは耐えられるけど、寒いともう全然だめだ。
- 殆どの人は世界チャンピオンになることは一生ないでしょう。でも、思い浮かべられるようそれがどんな感じか教えていただけますか?
これは何回も訊かれてることだけど、言葉にできないんだよね。スーパーボールで優勝したときの気持ちを尋ねるようなものだ。長期的な目標として考えることで、僕は若くして勝ち取って、あんなに早く達成するとは思わなかった。とにかく凄い達成感なんだ。
- 二回目は初めての時と何か違う感じがしましたか?
いや、全く一緒だった。初めての様な感じだった。
- 勝った要因は何だと思いますか?
僕は一貫性だね。一年を通して一貫した乗りをしたし、決勝戦に進むに当たって凄い調子が良かった− 94点とか90点を出していた訳じゃないけど週を通して一貫した良い乗りをして、それが大きかったんじゃないかな。
- まだ若いのに既に二度世界王者に君臨していますが、ジョー・アレクサンダー(*注1)とブルース・フォードが保持する最多世界チャンピオン記録を破ると思いますか?
まっ、やるだけやってみるよ(笑)そうとしか言えないね−やってみる。確かに目標ではあるが、将来のことは誰にも分からないからね。
- 2003年の世界チャンピオンバックルと2005年のバックル、どっちをもっと着けると思いますか?
2003年のバックルを勝ち取って以来殆ど外してないからこれからも着け続けるだろうな。最初のだから結構重宝してるし。二つ目はどうするかまだ分からないな−妻に少し着けさせるかな。
- 少しだけですか?
うん、ちょっとだけだね(笑)
- 世界王者になって以来、人生変わりましたか?
いや、別に。人に知られた顔になって人に気付かれるようになったけど、個人的にはそれほどでも。以前と同じ人だと思うよ−変わらないようにしてるつもりだけど。バックルが二つ増えただけだ。
- ファン投票で最多投票数を獲得し、ファンお気に入り賞を受賞しましたね?
あぁ、あれは僕にとって特別だった。ビリー・エットバウアー(*注2)やシャルメイン・ジェームズ(*注3)と同じ土台に上がれるなんて−素晴らしかったね。ベガスのファンはいつも僕に対して寛大だし、ベガスではいつも運が良い。あれは顕著な事だった。
- プロのロデオカウボーイとして出場するロデオはどの様に選んでますか?
誰がストックを連れてくるのかを見て、お互いに近いものと一番賞金を足すものだな。
七つのロデオが開催されてるとしよう−一つは大きいからそれには行くし、三つは500マイル以内にあるからお互いに近いその三つにも行く。それで残りはフロリダやニューヨーク州で行われているとしよう−それらは遠すぎるから行かない。
- 平均的にロデオに行く為一週末で行ける距離はどのくらいだと思いますか?
一週末で?去年なんかカンザス州ガーデン・シティーでベアバックが終わったのが8時頃で、それからすぐ出て次の夜オレゴン州シスターズで乗ったぜ。24時間ぶっ続けドライブだ。ソルトレイクシティーには記録的な時間で辿り着いたと思うよ。共に旅をする者が通常4人いて、全員、または2、3人いれば時間内に行けると思い、行く価値があれば行くさ。

- 通常共にしている四人は誰ですか?
トム・マックファーレンド(*注4)、ウェス・スチーブンソン(*注5)とロイス・フォード(*注6)と旅してる。
- 全員経験者揃いですね。
あぁ、凄く良いグループだよ。皆、常にポジティブ志向で一緒にいるのが好きな理由の一つがそれ。物事がいつも上手く行くわけじゃないけど、みんないつも前向きだからいつもが楽しい。
- このグループとはどの様にして一緒になったのですか?
ロイスとは僕がルーキーだった2002年から一緒に廻っていて凄く仲が良かった。で、ウェスは僕のところからたった100マイル南に住んでいて一緒に行く相手がいなかったんだ−当初はフォレスト・ブラムウェル(*注7)と廻っていて、あとトム(マックファーレンド)とも大分一緒に廻っていて、フォレスト、ウェス、トムとタイソン・トンプソン(*注8)だったんだ。でも、タイソンが怪我して、そのあとフォレストも怪我しちゃってさ−タイソンが怪我した時に僕が入る枠が出来たから一緒に廻りだして、フォレストが怪我した時にロイスも一緒に廻りだしたんだ。
- これを読んでいる人がもし貴方の乗っている姿を観たいとしたら、このロデオに行けば観れるというロデオはありますか?
ロデオには複数の日程があるから難しいなぁ−例えばヒューストン−ヒューストンには必ず出るけど、ヒューストンでは20以上のパフォーマンスがあるからね。でも、大きいやつには必ず出る。サンアントニオ、ヒューストン、デンバー、カリフォルニア州レッドブラフ…
あと、ツアーロデオにも殆ど出る−出ないのは…
いや、全部出るか(笑)とにかく、でかいロデオなら必ず出るよ。
- どの様に乗る為の準備をしてましたか?何か決まった順序がありましたか?
僕は他の奴らとちょっと違って乗る直前まで準備を始めないし、あまり考えないようにしてる−考えすぎるとしくじっちゃうんだよな(笑)だから余り考えないようにしてる。いつも器具を同じ順序で着ける−ブーツとスパー、ネックロール、シャップス−常に同じ順番で着けていく。ストレッチもいくらかするけど、それ以外には余り乗る準備は無いな。
- 乗るにあたって何かこだわりはありますか?
リギングは毎回違う場所に置くんだ。馬は一頭一頭ちょっと違うから、でも、僕は常にできるだけ真ん中に置くようにしているし、片方によってるのは好ましくないし馬がきちんと立っているのも確認する−きちんとと言うのも4本足でしっかり立っていてゲートなんかに寄りかかってなくて、頭も下げてたりしてないって事。
- 頭を下げてたり、ゲートに寄りかかってるのはなぜいけないのですか?
外向けのゲートに寄りかかってるとしよう−ゲートを開けた時全体重がかかってるから君がドアに寄りかかってるところを誰かが戸をいきなり開けたようなことになる−つまり落ちる可能性が高いんだ。頭を下げてると出るとき低く走り出す傾向があってマークアウトし難いし、ケツに座ってるかの様にスライド・ゲートに腰をかけてればゲートをスターティングブロックのように使って飛び出すことが出来て強く引っ張られてしまう。
- 「マーク・アウト」と申しましたが、ルールによると脚は「肩の割れ目より上になければならない」とあります。「肩の割れ目」とはどこですか?
馬の場合、首が体につながるところに線があって脚が体沿いに上がってくるところにも線がある−実際は肩の骨なんだけど−そこから首へ下がっていく所に明確に目に見える折り目があって、その折れ目より上に「脚が」あたってなければならないんだ。簡単に言えば首が始まるところだ。
- 出てくる際、馬からスパーが外れていてはいけないんですよね?触れてなければならないんですよね?
その通り−触れてなければならない。時々後二本足で立って飛び出す時があるんだが、油断をしている時にこれをやられると馬の前足が着地した時に「選手の」脚が跳ねて外れる時があるんだ。だから座ってないことを確かめるんだ−どっちみち立って飛び出す馬もいるけど、そういうのは大抵事前に分かってる。
- 馬が立って飛び出し脚を「跳ねた」場合、これは違反となるのですか、それともこれは容認されるのでしょうか?
旗を投げられるね(*注9)−馬の脚が地面に触れる際、選手の足が馬に接触してなかったからね。
- 何か他人と違うことはありますか?(例えば異なるリギングを使うとか、準備の仕方が他と違うとか)
いや、他の皆と同じもの使ってるね。ウェス何かが使ってるのとは違うブランドのリギングを使うけど。主要なリギング製造者が2社あって、別に数人(の選手)が使う個別の製作者も一人いる。主要の2社はニール・バーストーとビーストマスター・プロ・ロデオ用具社。僕は昔からバーストーのリギングで乗っていて凄く、凄く気に入ってる。他人のを使って乗ったこともある−馬が引っ繰り返ってリギングを壊してしまって他人のを使うざるをえなかったけど、でも別に変わったものを使用してるわけじゃないね。
- 個別に製作をしている方がいると言いましたが、それはどなたですか?
ピート・ヘネシー/ヘネシー・プロ・ロデオ用具。
- 用具に関するこだわりはありますか?リギングには何を求めますか?
一人一人違うリギングの乗り方をする。僕の中ではニール(バーストー)が作るリギングが最高だ−彼は長年作ってるからね。リギング本体の左右のどちらかにハンドルが傾けられているのを好む奴もいるし、ハンドルが捻られているのを好む者もいる。リギングの本体にハンドルが傾けられているということは他人と違う体の位置からリフトしているといことで、僕は真ん中に真っ直ぐ着けられているのが好きでハンドルも捻らない。鼻に向けてハンドルを持ち上げようとするようにリフトするわけだから、人それぞれ体の作りによって最も力を出せる位置が異なり、最もリフトし易い形・位置がベストだ。
- 選手が乗る準備をするにあたって注意すべき点や絶対すべきではないことはありますか?
時にはどうしてもやるしかない時もあるが、僕が考えるには絶対立って馬を跨いだ状態で準備しちゃいけない−どうしてもという場合を除いて、必ず馬の背に座った状態で準備すべきだ。後は馬がシュートにいる間にスパーを当てないってぐらいかな(笑)
- 立ったまま馬を跨いだ状態ではなく座った状態で準備をするには何か理由があるのですか?
立ったまま跨いでいて馬が引っ繰り返ると全てを体で受け止めることになってしまう。座ってれば引っ繰り返ろうとするのが感じとれて横に動いて逃げられんだが、立ったまま跨いでると体を、体全体を動かして避けきることが出来ないんだ。
- 選手が乗っている間に注意すべき点や絶対すべきではないことはありますか?
あぁ、注意すべき点は無数にあるよ、でも、それは経験で学ぶしかないな。手とは反対に落とされないようにしないといけないし、真ん中に座ってスパーリングするのが理想だけど、それを常に出来る奴は誰一人いないよ(笑)。沢山乗るしかない。乗ったときには90点かそれ以上狙う気持ちで乗らないと必ず落とされる。落とされない方法を学ぶことだ。
- 貴方にとって良いブロンコとは?悪いブロンコとは?
僕にとって良いブロンコは正直もんで行動が一貫していて…まっ、一貫しているとまでは行かなくても汚くない奴だな。汚いってのは悪いブロンコってことで、方向転換ばっかりして思いっきり蹴らない奴のことだ。方向転換をしてもしっかりと蹴ればタイミングを合わせられるんだが、前に跳んで左右に動いたり、前足で方向変えたり、リードを変えるって言うか、そんなことされると汚くて困難になって良い乗りが出来ないんだ。一番良いのは力一杯跳ねて正直な奴だ。
- 一般の観客がベアバックをより良く理解し楽しむには何を見たらいいのでしょうか?
ベアバックはスポーツでも分かり辛いんだ−何が良くて何が悪いかを見極めるには色々見ないとダメなんだ。まず、選手の上半身を見るべきだ、体が馬の中央に維持し続けてるか、足の動きが馬の動きに対しタイミングが合ってるかとか−必ずしも馬の一歩一歩に合わせてスパーリングをしてなければならないってことじゃないけど、リギングの上部に同時に上がってなければならない。
まぁ、もっと観てて楽しいのは馬を見ることかな−あいつらが方向転換をする時は目を見張るものがあると僕は思うな。高く跳ねて空中で蹴る馬ほど綺麗じゃないかもしれないが、乗り切るにはホント、歯を噛み締めて全力でしがみつかないといけない。
- ベアバックに関して一般的に誤解されていることでここで誤解を解きたい事ってありますか?
何故ベアバックで乗るかって事かな。馬を調教する時、最初から鞍を着けることが出来ない時もある−鞍を見て馬が恐がるからね。だから、馬をベアバックで乗るにはちゃんとした理由があるんだ−勿論、娯楽の部分も大きいけど、昔は必ずしも直ぐそこに鞍があったわけじゃないから(笑)
- 最も誇りに思っている乗りを教えてください。
あの94点−あれは結構誇らしいな。他にも非常に満足してるのが多々あるな−必ずしも高い点数のやつじゃないし、馬が今一つの蹴りしかしなかったかもしれないし特別強烈な跳ねもしなかったかもしれないけど、でも凄く、凄く乗り難い馬だったとか、後、他に通常は余り上手く乗られない馬を上手く乗ったやつとか、そういうのが一番鼻が高いな。
- 目標にしている人はいますか?
憧れてる人はいっぱいいるな−まず、クリント・コーリー(*注10)−彼は長年すごくいい乗りをしてたし。ブルース・フォード(*注11)もそうだ−ブルースとは結構親しくて、彼はホント良い人だし、僕も昔から良くしてもらってる。ギャロット兄弟−マークとマーヴィン(*注12)−彼らの乗り方は凄く気に入ってる。彼らはみんな僕が憧れる人だ。僕は運が良い−彼らの多くを「友」と呼べるからね。クリントなんかは凄くいい友達だし。クリント、ブルースとギャロット兄弟、彼らにはホント凄く憧れるよ。
- なぜプロになれると思いましたか?
分からない−ただ、なりたかったんだ。上手くいくかどうかは分からなかったけど、でも、何が何でもやってみようと思ったんだ。やってみなきゃ(プロになれる)可能性は微塵にも無いからね。アマチュアのロデオでも多くのことを学んだ。アマチュアのサーキットでは多くのレベルの高いやつと対抗して乗ったし、ここで言いたいんだが、凄く質の高い乗りをする良い選手が沢山いたよ。僕も彼らのレベルに達した時、もう少し時間をかければ次のレベルに進めるかもしれないって考え出したんだ。
- スポンサーを得るのにどの様なことをなされましたか?
それに於いては兄が色々やってくれた。僕としては人生を正しく生き、それ以外は主に任せてる。僕はスポンサー運が良いみたいで、凄く良くしてもらってる。他には上手く乗るようにもしてるかな−それも重要かもしれない(笑)
- 最初のスポンサーは?
初めてスポンサーしてくれたのはニール・バーストー。ルーキーの年はスポンサーがいなかったんだ。世界決勝戦に進出して、寛大にもニールがスポンサーになってくれたんだ。次の年には誰かスポンサーに付いてくれたと思うんだが、誰だったか思い出せないなぁ(笑)年の終わりにエキストラショッツがスポンサーになってくれたと思う。僕の行き付けの動物病院もここ数年スポンサーになってくれてる−馬を所有していて妻がバレル(バレルレーシング用の馬)を持っていて、ティンバー・クリーク動物病院にはホント良くしてもらってる。彼らは格別だ。
- 現在のスポンサーは?
今はラングラーとティンバー・クリーク動物病院がスポンサーで、それ以外に二つほどのところがスポンサーになる見込みがあるんだが、まだ何も成立してないから、ラングラーと僕の動物病院だけだな。
- どの様な目標をお持ちでしたか?達成しましたか?
目標の一つが世界王者になることで、神の恩恵により二度も成ることが出来た。毎年世界決勝戦に進出することを目標としていて、長期的な目標としては長年競って、世界決勝戦に沢山行くこと(笑)行けるだけ行きたい。
- 続けられないと思ったことはありましたか?
いや、特に。時にはクジ運が悪かったり上手く乗れてなかったりして「チクショウ、帰って定職につきゃぁ金の心配なんかねぇのになぁ」なんて考える時もあるけど、楽しい生き方だよ−結構ストレスとかもあるけど、やってるのが楽しいし、僕は他に技術がないから(笑)
- 今までで最もひどい怪我は?
高校時代に腕を折って首の靭帯を痛めたけど、幸いにもそれ以外は無い。
- これ程までに負傷を負いながらも、何故カウボーイ達は続けるのだと思いますか?
スリルもあるけど、ライフスタイルもあるな。親しい仲間としょっちゅう会えるし、米国中を旅出来て、多くの美しい風景を見ることが出来、多くの人が経験することのないことだ。常に車で米国を横断するなんて余り楽しそうに思えないかもしれないが、僕らは楽しくやってるし興味深いところをいっぱい見ることが出来る。
- 最近のロデオの感想は?
ロデオは目覚しい成長を遂げていて良い方向に進んでると思う。スポーツはどれでも溢れや障害はつき物だが、ロデオはその障害の多くを乗り越えて向上していると思う。もっと多くの人が観る機会に恵まれるといいけど。
- ロデオの将来に何を期待されますか?
露出度の増加だね。来年はテレビ放映が増えるし。自分立場から言えば金が増えることだね(笑)もっとこのスポーツを楽しめる人が増えて欲しい。
- ベアバックライディングは将来どうなると思いますか?
向上すると思う。極めて良い乗りをする若い奴らが大勢上がって来ていて、これからますます良くなると思う。
- PBRやその他のブルライディング・プロダクション会社はロデオやベアバックライディングにどの様な影響を及ぼしていると思いますか?
僕は良い影響だと思う。ブルライダー達にとっては凄くいい状況だけど、ロデオの知名度を上げている効果もある−ブルライディングの方が前面に出てるけど、ロデオもブルライディングにあやかってるところも少しあって、人々は「あっ、ブルライディングだ」って思ってブルライディングを見るんだけど、後にウェスタンのライフスタイルには他の側面も有ることに気付き、それに興味を抱いてそれも好きなるから。
- 巷ではPRRがIPRAを買収してロデオをPBRのイベントの様に行うといううわさも流れてます。もしPBRがもっとラフストックに重点を置きPBRのイベントのように行い賞金も増えたとしたらそちらの方でも競うと思いますか?
それがまさにプロ・ロデオの向かっている方向だ。多くの人が考える以上に時間を有することなんだ。ロデオは長期に渡って行われてきただけあり守られなければならない伝統も沢山ある。伝統を維持しつつ現代の行いを取り込まなければならない。ツアーロデオもその方向に向かっている−ますます大きい会場と大規模なツアーファイナルは更に大きいイベントと賞金の増加につながっている。だから、PRCAもその方向に向かってると僕は思う。
- 「守られなければならない伝統」とはどのような事を指しているのでしょうか?
小さなロデオとかだよ。小さなロデオで競うことで僕達は毎月の請求書を払えてるんだ。大勢の観客や知名度の高い選手の出場に恵まれないかもしれないけど、50年代、60年代、70年代に地元のカウボーイが出場できたちっぽけな町のカウンティーフェア(*注13)のロデオは今となってはカウンティー・ファア・プロ・ロデオになっていて、このスポーツに大きく貢献してきたこれらのロデオに対し「君たちはもうプロ・ロデオじゃない」なんて言って一蹴しちゃいけない。だから、彼らを含め続ける方法を見い出しつつ、より大きなレベルへ前進しなければならない。
- 家族のことを少し教えてください。
僕はカンザス州カンザスシティの南で育ち、兄弟は兄と姉が一人づつ。姉はサム・ヒューストン大学に通っていて学校のロデオチームの一員として競ってる。兄はカンザス市で仲買業者に勤める開発者。
幾度か妻のことが話しに上がりましたが。彼女のことも少し教えていただけますか?お子さんは?
いやいや、子供はいない。彼女はティファニ・ロー。結婚3年目で、僕が始めて世界決勝戦に進んだ2002年、ラスベガスで結婚した。彼女はプロのバレルレーサーで格別に素晴らしい女性だ。
 
*注1:ジョー・アレクサンダーは1971年〜1975年にかけて5回ベアバック世界王者となり、これは87年にブルース・フォードが同じく5回目の王者君臨を記録するも未だ破られない記録である。アレクサンダーは体を起こした独特のライディングスタイルで知られ、多くのロデオファンに歴代最高のベアバックライダーとして崇められている。
*注2:兄のロバートとダンと共に長年エットバウアー三兄弟として競ったトップクラスのサドル・ブロンコ選手。NFRには17回も進出しており、世界チャンピオン回数も世界記録である6回に続く5回獲得している。1988年のプロ転向から18年経った現在も現役で競っている。
*注3:11回世界チャンピオン・バレル・レーサーで19回連続NFR進出を果たしている。
*注4:2005年は世界18位、2004年は世界10位に入賞したトップクラスのベアバック選手。2003年と2004年にNFR進出。プロ転向は2001年。
*注5:2005年世界3位、2004年世界13位、2002年は世界10位で終えると共にダラス市で開催されたUSスモークレス・タバコ杯決勝戦で当時世界記録となる94点を樹立。2001年は足を怪我したにもかかわらずシーズンを19位で終えた。2002年、2004年と2005年にNFR進出。プロ転向は1999年。
*注6:ベアバック世界チャンピオン回数世界記録保持者ブルース・フォードの息子で2005年は8位、2004年は4位、2003年は世界3位。2003年〜2005年NFR進出。プロ転向は2000年。
*注7:2005年世界15位のトップクラスベアバック選手。2001年、2003年〜2005年NFR進出。プロ転向は1999年。
*注8:2001年レジストール最優秀新人賞獲得。NFR進出無し。プロ転向2000年。
*注9:ロデオではアメフトと同じく反則があると反則があったことを示す為、審査員が「フラッグ(旗)」と呼ばれる黄色いハンカチの様な布を地面に投げ出す。
*注10:1991年世界ベアバックチャンピオン。
*注11:ウィル・ローのトラベリング・パートナーであるロイス・フォードのお父さんでベアバック世界チャンピオン回数世界記録保持者(5回‐1979年、1980年、1982年、1983年、1987年)でもある。現在、殆どのベアバックライダーは体を後ろに反らして全てを曝け出すかのように乗るのが一般的であるが、この乗り方を編み出したのがブルース・フォードである。
*注12:マーヴィン・ギャロットはジョー・アレクサンダーとブルース・フォードに続く最高世界チャンピオン回数記録保持者で4回(88年、89年、94年、95年)世界ベアバックチャンピオンに君臨しており、弟のマーク・ギャロットも1996年に世界チャンピオンになっている。1998年に兄弟は他の選手二名と共に飛行機墜落事故に遭い、マークは軽傷で済むもののマーヴィンと他の二名は全員背中を折る重傷を負ってしまった。全員後に回復。
*注13:カーニバルを中心に音楽コンサートやロデオ、家畜品評会、パレードなど数々のイベントや行事が年一回行われる郡(カウンティー)主催の祭り。

★ PROFILE

Will Lowe (ウィル・ロー)

生年月日:1982年12月24日(カンザス州ガーデン)
在住所:テキサス州キャニオン
プロ転向(PRCA入会):2001年
NFR進出回数:4
2002年レジストール全般最優秀新人賞及びベアバック最優秀新人賞受賞
2002年世界3位
2003年世界チャンピオン
‐ベアバックに於いて歴代最高金額獲得$188,247
‐世界記録タイとなる94点を取得(ダラス市)
‐ロデオヒューストン、カルガリースタンピード、その他5つのロデオで優勝
2004年世界2位
‐ラ・フィエスタ・デ・ロス・ヴァッケロース(アリゾナ州ツーソン市)他6ロデオ優勝
‐NFR10ラウンドのうち4ラウンドで入賞(第四ラウンド1位)
2005年世界チャンピオン(2度目)
‐12のロデオで優勝
‐NFR4位

 hits