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Chasing The Dream - 芝原 仁一郎

Written by Jin'ichoro Shibahara. 芝原仁一郎


シーズン 2008

10月 3日(金)
Lloydminster, SK., Canada ロイドミンスター、サスカチュワン、カナダ:再会
Sasktel Invitational Rocky Cup presented by Dickies in Lloydminster, SK.
サスクテル・インヴィテイショナル・ロッキー・カップ・プレゼンティッド・バイ・ディッキーズ・イン・ロイドミンスター・サスカチュワン (PBRカナダ)

“O’  Canada”…。

この国に帰ってくるのは2年ぶりだ。前回は骨盤を骨折したあとのリハビリのために、ここサスカチュワンに住む友人を訪ねたが、今回は試合のために戻ってきた。

先に読者の方に伝えておくが、この原稿は長くなる(笑)。私の友人からは「毎回記事長すぎ!」とからかわれるが、今回は特に書き残しておきたいことが多い。しかも、残念なことに私の動画がない。頼んでいた人が撮り損ねてしまった…。そして今回は特に地名や人名が多く出てくる。ごちゃごちゃにならないよう気をつけて書くつもりでいますが、もしよければ、短編小説でも読むような感じで読んでいただければ、と思います。

さて。9月下旬にカナダに入った。滞在先は2年前と同じくこのサスカチュワンの南東部、スタウトン(Stoughton)という町で牧場を営む私の友人、糸川高史氏(通称ジェイク)の家だ。試合のあるロイドミンスターは州の北西部で、隣のアルバータ州との州境に位置し、ボーダー・タウンと呼ばれている。ジェイクの家からも車で8時間近く掛かる。

この試合のエントリーをした時点では、私はオルタネイト(補欠)・リストの3番目だった。出場選手は35人。このうち何人かが他のロデオやPBRのイヴェントを理由に棄権すれば、私の出番は回ってくる。事実、同じ週末にアルバータのカルガリーで大きなロデオがある。またPBRカナダだけのランキングだけでなく、PBRワールド・スタンディング(世界ランキング)でも上位につけている選手がいるので、もしかしたら彼らはその試合(アメリカでのB.F.T.S.)に出るかもしれない。私は出場できる可能性はある、と信じていた。

PBRカナダのオフィスに水曜日(試合の2日前)にまた電話をかけるように言われていたので、朝一で電話をすると、「You’re in!(入ったわよ!)」という言葉が返ってきた。この試合の為にわざわざユタからギア・バッグを持ってきたかいがあった。ただ、問題はこれからで、ジェイクの家からロイドまでどうやって行くか?

彼はここの牧場の仕事で忙しい。とても週末を私と共にブルライディングの為に費やせるほど、ヒマではない。ハーヴェスト(収穫期)にあたるため、牧場や農場で働く人たちにとっては、春に次いで1年で最も忙しい時期かもしれない。それが終わると、カナダの場合、長い冬に備える準備に追われる。一人で行くしかない。

当初の予定では、グレイハウンドのバスで木曜日にここを発ち、ロイドから2時間もしないところに住んでいるロデオ・クラウンのアッシュ・クーパーのところにしばらく滞在させてもらおうと考えていた。サリィナスで会ってから、サスカチュワンに来たら必ず彼の家に寄ると約束していたし、彼がここでもクラウンをすると知っていたので、いい機会だった。

ところが、グレイハウンドのバスを調べてみると、ここスタウトンからは週に2日しかバスが走っていない。しかも月曜日と金曜日。問い合わせてみると、「利用者がいないから」という回答だった(笑)。試合は土曜日。予定を少し変更し、金曜日に会場でアッシュと落ち合うことにした。問題は「帰り」だ。バスは月曜日にならないとスタウトンまで来ない。どこかで1日(日曜日)、つぶさないといけない。そうなると予算を超える…。自分の車がないと、こういうときに困る。

オフィスにもう一度電話をし、サスカチュワン南東部から出場する選手がいないか確かめてもらった。ルーク・エリンソン(Luke Ellingson)がここから車で1時間ほど西に行った町ウェイバーン(Weyburn)に住んでいて、彼が出場するという。ルークはジェイクの近所に住む牧場の人の弟で、私も数年前に面識がある。

この時点ではまだ、私は本当の試合日程について理解していなかった。私は土曜日4日の試合に出場のエントリーをかけていた。ロイドでは3日と4日の2試合が組まれていて、それぞれの日に35人が出場すると思っていた。35人のロング・ゴー(Long Go 予選ラウンド)、上位6人のショート・ゴー(Short Go 決勝ラウンド)、そしてそれぞれの日で上位6人に賞金が支払われる、というフォーマットだと思っていた。賞金加算額はそれぞれの日に$6000。PBRカナダでのいわゆるマイナー・リーグの試合だ。

ルークに電話してみると、彼の認識では、出場選手は35人のみで、この35人が金曜と土曜の2日間とも乗り、上位8人が土曜のショート・ゴーに進むということだった。つまり、2ラウンドの予選をこなし、合計点で上位8人による決勝ラウンド、賞金は計3ラウンドの合計による上位8人に支払われるという。二日間のイヴェントで、PBRカナダでのメジャー・リーグにあたるロッキー・カップの試合に格上げされている。賞金加算額も当然上がり、$20,000だ。私の手元に会ったPBR本部(アメリカ・コロラド)から送られてきた資料と、違う。なにはともあれ、出場できる資格を得たのは幸運の一言に尽きるし、規模が大きくなっただけに、来る選手も変わってくるだろう。

話を元に戻そう。残念ながらルークは引っ越していて、今ではここの近くには住んでいなかった。次の問題だが、ルークの言うとおり、二日間のイヴェントだとしたら、私も金曜日にブルに乗らないといけない。バスがロイドに着くのは夜の7時45分。試合開始は7時。間に合わない。そこでルークが提案してくれたのが、プロモーターのジェイソン・デイヴィッドソン(Jason Davidson)に直接電話し、事情を説明して私のブルを私が到着するまで待機させてくれるよう頼んでみることだった。

早速ジェイソンに電話してみると、カーライル(Carlyle)に住むタナー・ロバートソン(Tanner Robertson)に電話してみろ、と勧められた。カーライルはここから東に1時間ほどで、もしかしたら彼が途中のスタウトンで拾ってくれるかもしれない、ということだった。ジェイソンにタナーの番号をもらい、連絡を取った。

タナーに事情を説明し、スタウトンで私を拾ってくれないか、頼んでみた。即答はもらえずに、1時間後に電話するということだった。理解できることだ。私は彼を知らないし、彼も私を知らない。しかも日本から来たブルライダーだし、というのが正直なところだろう。彼からの電話を待った。

電話は彼のガール・フレンドからかかってきた。ありがたいことに、拾ってくれるという。ただし、試合直後の土曜の夜、そのまま西端のブリティッシュ・コロンビア(British Colombia, B.C.)に行くので、一緒には戻ってこられないということだった。が、その後もグレイハウンドを調べてみたが、ウェイバーンまでは毎日バスが走っていて、どうにか日曜に帰ってこられることが分かっていた。「それは多分大丈夫だから、気にしないでいいよ」とその彼女、アリーに伝えると、明日の朝8時にスタウトンで落ち合おうことに決まった。このとき、木曜日の夜9時過ぎだった。どうにか、なった。

翌朝、ジェイクにスタウトンの待ち合わせ場所まで乗せてもらい、タナーとアリーを待った。約束の時間より30分ほど遅れたが、彼らは来てくれた。GMCの黒のでっかいピックアップ・トラックだった。簡単に自己紹介を済ませ、ハイウェイをひたすら北西へと向かった。ハイウェイ脇の平原で、ムース4頭が朝食をとっている。州都レジャイナを通過し、サスカチュワン最大の都市サスカトゥーンでランチを取り、そこから西へ進路を変え、ロイドへ。車中ではアリーと私が主に会話をし、タナーが運転しながらそれに耳を傾けるという状況が続いた。驚いたことに、アリーは16歳から18歳まで、女子サッカーのカナダ代表で、ワールド・カップに出場した経験も持っていた。その後、アメリカの女子サッカーのプロ・リーグに進んだが、リーグ自体が3年で終了してしまったために、サッカーは引退し、カナダに戻ってからタナーと出会い、今は二人でロデオ用のブルを育てている、ということだった。日本代表のナカムラは凄いいい選手よね、と話しながらも(おそらく中村俊介選手だと思うが)シアトル・マリナーズの大ファンで、イチローも大好き、と話していた。

一方タナーもPBRカナダ・ナショナル・ファイナルズに2006年、2007年と2年連続で出場している。寡黙で、落ち着いた感じのブルライダーだ。携帯で何度も、自分のブルのための土地について話し合っている。

ロイドに着いてから、先ずは二人が宿泊するモーテルに行った。同じ部屋にダスティ・エフロム(Dusty Ephrom)とその彼女が先に来ていた。ダスティに会うのも久しぶりだ。話すことはといえば、ブルライディングしかなかったが、今年の彼は絶好調で、ワールド・スタンディングでも70位以内に入っているらしく、もう少しで、top45に手が届きそうなのだけど、なかなか入れないと話していた。2時間ほどそこで休ませてもらい、開始時刻が7時半に変更されたこともあって、軽い食事を済ませてから会場へ向かった。

ロイドでのPBRはこれで2回目だ。前回来た時は2003年だった。タナーがアリーナの裏手にある選手用の駐車場にトラックを停め、アリーナの中に入るまでに懐かしい顔に次々と出会う。PBRカナダの前身で、以前PCB(Professional Canadian Bullriders)と呼ばれていた頃、その最初の試合で乗ったブルのストック・コントラクターだったエリ・スコーリ(Eli Scoli)。名前はエリだが、男性だ。そしてジョン・ビィストロム(John Bystrum)。今日は彼のブルに乗る。以前彼のブルに何回か乗ったときは、いずれも吹っ飛ばされた。そしてローン・ハイ(Lorne High)。アマチュアの試合で彼のブルにも乗った。アルバータで日本人だけのブルライディング・スクールを開催したとき、彼の家にその全員を招待してくれて、牧場を見学させてくれた上に、食事までごちそうになった。そのことが地元の新聞にも記事として載った。感謝してもしきれないくらいのことをしてくれた人だ。そのあとも、個人的に私は彼の場所を訪れて、練習をさせてもらったことがある。今では、PBRカナダ・ナショナル・ファイナルズにもブルを送り込むほどの指折りのストック・コントラクターになっていた。

エントリー・フィー$210と保険料$105を払いチェック・インを済ませると、昨夜電話で話したジェイソンがいて、両手を胸の前で合わせて「コニチハ!」と声をかけられた。その横にアッシュがいた。今回はクラウンではなく“ロデオ・アナウンサー”として参加するという。珍しく、ジャケットを着ていた。ギア・バッグを置いて、準備を始めるが、見る顔見る顔が懐かしい連中ばかりだった。タナー・ガーリッツ(Tanner Girletz)、ラス・エヴァーツ(Ras Evarts)、チャド・べスプラグ(Chad Besplug)、コール・コリンズ(Cole Collins)、ジェシィ・トークルソン(Jesse Torkelson)、マーク・ジョハンセン(Mark Johansen)、タイラー・パンクウィッツ(Tyler Pankewitz)。アメリカから来ていたチャド・デントン(Chad Denton)、コーリィ・ナヴァーレ(Corey Navarre)、コーリィ・ラーシュ(Cory Rasch)。この3人はPBRワールド・ファイナルズ経験者だ。他にも過去3度カナディアン・チャンピオンに輝いたロブ・ベル(Rob Bell)。ジャッジとして来ていたのは、カナダ人で唯一NFRにブルファイターとして出場したライアン・バーン(Ryan Byrne)。彼は、私が初めて行ったブルライディング・スクールと並行して行われたブルファイティング・スクールでインストラクターだった。1995年、96年の話だ。

「いったい、どこに隠れてたんだ?!」

「どこに行ってた?全然(カナダで)見なかったな、ここ数年」

「で、どこに住んでんだ?」

聞かれた質問をまとめると、こんな感じだ。カナダの試合に出場するのは2004年の10月に行われたPBRのカルガリーでの試合以来。あのときは左足のハムストリングが完全に肉離れを起こした。松葉杖をつきながら会場をあとにした、苦い記憶がある。

この日、ブルの写真を撮り忘れた。私のブルはビィストロム・バッキング・ブルズ(Bystrom Bucking Bullz)のYSZ38 ジム・ビーン(Jim Bean)。独特のまだら模様で、小型だが肩幅がある。私の出番は10番目。彼が左のデリヴァリーに入ってくる。出番はすぐに回ってきた。

出たその直後、私の左腕は伸び、両脚は彼の肩から外れ、何もしないままに左側に振り落とされた。まるで、ソルトレイクでのサンダンスのときと同じだ。違うのはデリヴァリーのサイドと私がノック・アウトされなかったことくらいだ。左の肩が痛む。ロープを引き付けようとしたが、力が入らなかった。何もされていないのに、左肩を抑えてうずくまってしまった。ジャスティン・スポーツ・メデシィン・チーム(Justin Sports Medicine Team)のチーフ・ドクターのデイル・バタウィック(Dale Butterwick)が駆け寄ってくる。今日ではなく、8月末にここを痛めていたことを説明し、それ以来ろくなトレーニングも出来ずにいたことを告げると、やはりしばらくはリハビリしかすることはない、と言われた。完治するまで3〜4ヶ月かかるらしい。

試合後、会場に併設されたビア・ガーデンでタナーやアリーらと飲もうと誘われたが、この日は、私はアッシュの家に世話になることになっていたので、アッシュと彼の奥さんのカトリーナと共に会場を後にした。明日、彼らとはまた会える。

町の明かりがまるで見えなくなり、周りが闇と星空のみという、いかにもサスカチュワンの田舎を走っていくアッシュのピック・アップ・トラックの中で、私は眠ってしまった。


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今回は私の動画が撮れていなかったので、代わりに2006年のカナディアン・チャンピオンでもあるタナー・ガーリッツのライドを載せておきます。残念ながら8秒に届きませんでしたが、いいブルでした。

芝原仁一郎


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