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ロデオの有名人

ロデオの話をする時、ぜひ知っておいて欲しい人物を何人か紹介しよう。アメリカでロデオカウボーイ達と話をするとき、きっと役に立つはずだ。

レイン・フロスト (Lane Frost)

映画「8 SECONDS」を見た人なら分かるだろう。ロデオの伝説的人物、レイン・フロスト(1963〜1989) 出身地: オクラホマ州レイン市(後にテキサス州クァナ市)だ。彼は、1987年 PRCA (Professional Rodeo Cowboys Association) 世界ブルライディング選手権の世界チャンピオンとなり、その翌年1988年、Challenge of Champions と言う Rodeo Production で、Red Rock と7回戦のチャレンジに挑んだ。

Red Rock は、リバーモア・プロ・ロデオという Stock Contractor が所有するで、今までタフ・ヘドマン、テド・ヌース*1ら強豪を含む309人のブルライダーをすべて投げ倒してきた。この7回戦のチャレンジでレインは、何と、この Red Rock に 4対3で勝ったのだ。その後、94年に Red Rock が脳震盪で死ぬまで、8秒間乗りきった人物は、レインをおいて他にいない。

翌年の89年、レインは、Cheyenne Frontier Days の決勝戦で、1ヶ月前にテキサス州デロ・リオ市のロデオで自分を投げた牛"Taking Care of Business" に8秒間乗りきるものの、降りる際、牛の前に投げ出され、よっつんばいになったところを牛が背中を突き上げ、あばらを折り、これが動脈を破る致命傷となって、26年の短い人生に幕を閉じる。

翌年の1990年に、レインは歴代上最も若い人物としてPRCAのプロロデオ殿堂入りを果たした。「8 SECONDS」は、そのレイン・フロストの生涯を描いた、ロデオファンならぜひ見ておきたい映画である。

*1 テド・ヌース: 80年代の代表的なロデオ・カウボーイで、85年PRCA世界ブルライディングチャンピオンでもあった人物。 95年引退。

タフ・ヒドマン (Tuff Hedeman)

今日、ロデオで最も代表的は人物といえば、何と言ってもタフ・ヒドマン(出身地:テキサス州モーガンミル市1986、1989、1991年PRCA世界ブルライディング・チャンピオン)だろう。タフ・ヘドマンはニックネームで、本名は、リチャード・ヒードマンという。

映画「8 SECONDS」を見ると、レイン・フロストがタフよりも先にチャンピオンになったと思いがちだが、実績を見ると、タフがレインより一年早い86年にチャンピオンになっているのが分かる。

ニックネームの通り、タフは今まで、幾度もの重傷を負いながらも愛するロデオを続けて来た。これらには、Bodacious と言う牛に顔を潰され、3,000ドル以上もの整形費を費やさなければならない程の重傷も負った。

こういった重傷を負いながらも34歳まで現役でやって来たタフだが、1998年の3月には3度目の首の骨折を負い、今度こそは続けられるかどうかは未だ分からない。1997年にタフも親友のレイン同様プロロデオ殿堂入りを果たした。

この他にも8回チャンピオンになったという記録を持つドン・ゲイや、レインが憧れブルライディングの先生だったフェコルス・ブラウン他、ジム・シャープ、ラリー・メーハン、タイ・マーリーと言ったライダー達はいるが、自分はあまり彼らについて知らないので、ここでは書かない。

クリス・ルドゥ (Chris LeDoux)

さて、アメリカに行き、地元のカウボーイ達とロデオについて語り合う時、知らなければ笑われるかもしれないという人物が1人いる。カントリー・シンガーのChris LeDoux (クリス・ルドゥ)だ。彼は変化に富んだ人生経験からロデオのルネッサンス・マンと呼ばれる事もある。

「誰?」と、お考えの方も多いだろう。そう思うのにも無理はない。なぜなら日本どころか、アメリカでさえも知る人ぞ知るアーティストだから...

カントリーのメジャー系で知られている歌と言えば、93年にカントリー・チャート Top 20入りした"Cadilac Ranch"か、あるいは92年に Top 10 入りした、ガース・ブルックスとのデュエット曲、"Whacha' Gonna Do With a Cowboy?" ぐらいだろう。

そういえば、ガース・ブルックスの初アルバム"Garth Brooks (邦題:ミスター・アメリカ)"に入っている曲、"Much Too Young (To Feel This Damn Old)"の 2番目を良く聞いてもらいたい(2番目のアルバム "NO FENCES"にも再収録されている)。 SBR 選手のロデオ人生を描いたこの歌に、クリス・ルドゥの名前が入っているのだ。

"...A worn out tape of Chris LeDoux, Lonely woman and bad booze
Seem to be the only friends I've left at all..."

(Much Too Young (To Feel This Damn Old), by R. Taylor/G. Brooks,
Copyright 1986 by Major Bob Music,  Copyright 1989 by Capitol Nashville, a division of Capitol Records, Inc)

そして、クリス・ルドゥと、ロデオ選手の孤独な人生を描いたこの歌は大いに関係がある。

ロデオをテーマとした歌はこの歌の他にも、 ガース・ブルックスの"Rodeo"。ブルライダーを主人公とした"Fever"。トレイシー・バードの"No Ordinary Man"やパーフェクト・ストレンジャーの "Ridin' the Rodeo"という風に結構あるのだが、アメリカのロデオ・カウボーイに「一番好きなロデオの歌は何?」と聞けば、曲名はいろいろあれど、大抵の答えは「クリス・ルドゥの...」で始めることだろう。

クリス・ルドゥはミシシッピー州バラックシー市に生まれ、12歳の時に家族とテキサス州オーストン市に引越す。 ここで元騎兵から馬術を教わり、2年後に全米 Little Britches Rodeoブルライディングで入賞すると同時にベアバックライディング・チャンピオンにもなる。後に高校のロデオ・チームで活躍し、ワイオミング州高校ロデオ・ベア・バック・チャンピオンになり、ロデオで奨学金をもらい、同じくワイオミング州のキャスパー大学に入学する。 ここで3年程牧場で働きながら大学のロデオサーキットを回り、全米大学ロデオ・ベア・バック・チャンピオンにもなる。 3年目にPRCAカードを取り、プロとなった。

クリスは シャイアン (Cheyenne) でも優勝するが、彼の頂点は何と言っても1976年、PRCA世界ベア・バック・チャンピオンになった時だろう。 彼は他のチャンピオン達と同じく、22年後の今も誇らしげにチャンピオン・バックルを着用している。

プロのサーキットを回る間、クリスは資金を稼ぐべく、ロデオと、その孤独ながらも変化に富んだ人生を歌にし、父親のガレージでテープに録音し、サーキットで他のカウボーイ達に売っていた。ここから彼の熱心なファンを得る様になった。

1980年にロデオから引退すると、少なからずも築き上げられた熱心なファンをベースとして、今度は音楽を職とした。彼はカウボーイの伝統的な歌とロデオを混ぜ合わせ、"Rodeo Life"、"Bull Rider" といったロデオの歌のユニークなアルバムを次々と続けて出していく。 1990年、長年の自己出版と22枚のアルバムを得て、クリスはやっとリバティー・レコード(元キャピトル・レコード)と契約を結べる程の知名度に達する。この知名度が得られたのも、ガース・ブルックスの歌がヒットをし、その中に出て来る"Chris LeDoux"に興味を持った人が彼のアルバムを買い始め、売り上げが急上昇した事にもその一端があった。

ここで、彼の音楽の才能を分かって頂く為、彼の歌をいくつか紹介しよう。

Bareback Jack
彼の代表作の一つ。 ベアバックライディングでチャンピオンを目指す若者の人生を描いた歌。
 
The Big Rodeo
牧場の働く男がボスに誘われてロデオのブルライディングに出場する歌。
 
Billy the Kid / Hairtrigger Colt
二つは、別々の歌だが、最初の歌の終わりが次の歌につながっている。 最初のは名前の通りビリー・ザ・キッドの歌で、次のは敏捷な引き金を持ったコルト銃の事で、終身刑を言い渡された囚人がそのコルトを使って引き起こした悪事を思い起こし、そこに辿り着くまでの道のりを歌った歌。
 
Even Cowboys Like a Little Rock N' Roll
Devil When Down To Georgia のチャーリー・ダニエルスとのデュエットで、「カウボーイだってロックは好きだ」と言うメッセージを送る、やはりロック系の陽気な歌。
 
Hooked on an 8 Second Ride
ブルライダーのロデオ人生を描いた歌で、彼(ブルライダー)の危険中毒やブルライディングから得る天然ハイ中毒などを歌うロック系の歌。 ロデオに行けば必ずと言っていい程聞ける。

クリス・ルドゥの歌を初めて聞く人にとって、リブティー・レコード社でレコーディングしたアルバムを除き、彼の歌は聞きづらいかも知れない。 何せ、ガレージや家の地下のスタジオでレコーディングした物で、大手でレコーディングした物に比べ音の重みに欠ける。また、ロデオの歌が多いため、ロデオをしない多くの人にとっては実感が沸かないだろう。

僕にロデオを教えた友人はブルライダーで、もちろん、クリス・ルドゥの大ファン。 彼の車に乗れば絶対クリス・ルドゥがかかっていた。当時、僕は未だロデオをやっておらず、クリス・ルドゥの歌を聞いても何も感じずにいた。 しかし、1年程後、初めて牛に乗り、その後クリス・ルドゥの曲を聞き始めると不思議な事に自分の人生を歌い描いてる様にも聞こえ始めたのだ。 そして今ではクリス・ルドゥのアルバムを見つければ即買うという風になった。

孤独かつ危険な人生を毎日送るロデオ・カウボーイにとって、クリス・ルドゥはその人生を既に経験した、一種の戦友ともいえる人なのだ。その上、ロデオ・カウボーイ達が行う競技とそれを愛する理由を世界に広めてくれた、いわばロデオ・カウボーイ達から世界への「ロデオ大使」的存在なのである。

やはり、歌は経験が元になればこそ、厚みを増す。 ロデオ・カウボーイが、他の歌手のロデオの歌より、経験が元になった彼の歌を好むのは当然のことだ。アメリカに行きロデオ・カウボーイと話をする中、その「大使」を知らないとくれば笑われるのも無理はない。 ディズニー・ランドに行ってミッキー・マウスを知らないと言うのと同じだろう。

リブティー・レコード社でレコーディングし始め、1998年の7月に出された"One Road Man" ではジョン・ボン・ジョヴィの "Bang a Drum" を彼とデュエットするなどクリス・ルドゥの音楽の才能は終わりを見せる事はない。 しかし、引退から18年たった今でも、音楽の才能を見せ続ける中、クリス・ルドゥは自分の根がロデオにある事を忘れる事はなく、新しいアルバムを出すと必ずロデオの歌が最低1つは入っている。



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