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プロロデオの世界

プロになるには?

ロデオには、アマチュアプロがある。 プロとアマの違いは、PRCA (Professional Rodeo Cowboys Association / プロロデオカウボーイ協会)に認定されているか、否かである。 認定されていればプロ、そうでなければアマチュアのロデオだ。また、アマチュアのロデオにも賞金は出るが、プロだけしか出られないロデオの方がたいてい賞金は高額だ。この点は、ロデオにとっては大変大きな意味を持つ。

アマチュアの選手はどの様にしてプロに転向できるのだろうか? 

まず、アマチュアの選手は、自分がプロになれると思った時点で PRCA からパーミット(Permit、仮免許のようなもの) を購入し、パーミットホルダー(Permit Holder)となる。これによってプロのロデオ、つまり PRCA認定のロデオで競う事が1シーズンだけ許される。選手は、この許されたシーズンの間に合計1,000ドル以上の賞金を勝ち取らなければならない。勝ち取れば、PRCAからプロの証、PRCA カード が与えられ、めでたくプロのロデオ選手、 カードホルダー(Card Holder) となるのだ。

勝ち取れなければ、翌シーズンも再び PRCA に応募し、パーミットを取ってやり直さなければならない。賞金の高いロデオで優勝し、1つか2つのロデオでプロになる者いれば、プロの高いレベルについていけず、1シーズン全てをかけてぎりぎりプロになる者もいる。

パーミットホルダーはすべてのプロロデオ(PRCA認定ロデオ)に出場できるわけではなく、「パーミットホルダーも出場可」というロデオだけにしか参加することはできず、それを探さなければならない。さらに、それらのロデオでさえも、パーミットホルダーよりカードホルダーに優先権があるのだ。ということは、パーミットホルダーがようやく出場できるロデオを見つけたのに、後でエントリーを決めたカードホルダーに譲らなければならなくなることもある。これで、パーミットホルダーが1シーズンで1,000ドルの賞金を稼がなければならないというのは大変困難なことだ。

PRCA 以外に、ブルライディングだけを行っているPBR (Professional Bull Riders / プロブルライダーズ)という団体もある。非営利団体(協会)であるPRCAとは異なり、PBRは営利団体(=会社)である。PBR は、タフ・ヘドマンがリーダーとなり、当時世界のトップ・ブルライダー20名が自分達の競技の危険度と PRCA が出していた賞金額が釣り合わないことに不満を持ち、1000ドルづつを出資して設立したブルライディング専門の会社組織である。30以上の都市と自ら集めたメジャースポンサーからなるツアーで、PBRはブルライダーのスーパースターを生み出し、ロデオでもブルライディングでも前代未聞の賞金額を出すことに成功した。

1992年に設立されたPBR は、たった4年でPRCAに匹敵するくらいの規模と人気を獲得した(因みに PRCA は1952年創立)。 なにせブルライディング専門だから、競争レベルも、牛のレベルもずっと高い。今ではブルライダーにとって、PRCAで世界ブルライディングチャンピオンになるより PBR の方が難しく、より名誉がある。そんなわけで、有名なプロ・ブルライダーは、PRCAではなくPBRのチャンピオンを目指す方が増えている。

チャンピオンへの道 (NFR/National Finals Rodeo)

プロになったら次は、世界チャンピオンを目指すだろう。ロデオは、アメリカでも他のスポーツにはない、ユニークなシステムが使われている。シーズン中の稼いだ賞金額でランキングが付けられる、いわゆるマネー・ランキングだ。 そして、最終的に世界チャンピオンは、毎年12月にラスべガスで行われる決勝戦、NFR (National Finals Rodeo) で決まる(近年、ジーンズで有名で、PRCAのメジャースポンサーではあったWranglerが冠スポンサーとなり、WNFR (Wrangler National Finals Rodeo)と呼ばれるようになった)。

NFR にはそのシーズン中、どの種目でも PRCA 認定のロデオで最も多くの賞金を勝ち取った者、上位15人が進む。

NFRの決勝戦は1日1回、10日間に渡り10回戦(10 Go Rounds)行われる。1回戦ごとに入賞者(1位〜8位)に賞金が配分され、もちろん、より順位が高い者が、より高い賞金を手にする。この賞金もまたそのシーズンの稼いだ賞金額に加えられ、10日かかって10回戦すべてが終了した時点で、そのシーズンを通して獲得したすべての賞金額が最も多い者が、晴れてその年の世界チャンピオンとなる。

NFRがまだオクラホマ・シティーで行われていた頃、NFRの賞金額は低かった。そのため、世界ブル・ライディングチャンピオンに8回なったドニー・ゲイの様に、NFRに出る前に年間賞金を稼ぎまくり、12月のNFRが開始される頃には、大差で世界チャンピオンが既に決定していたということが度々あった。

しかし、1985年にPRCAが各賞金をそれまでの倍にすると言うラスベガスにNFRを移すと、公約どおり賞金が90万ドルから180万ドルへと倍に引き上げられ、NFR開始時点で大差があろうとも、15人中最下位の者でもNFRで勝ち続ければ世界チャンピオンになれるようになった。実際に、1990年チームローパーのAllen Backが、15位からワールドタイトルを勝ち取ったことで注目を集めた。このタイトルを勝ち取ったのは、Bachにとって2度目だった。2000年にもCody Hankcockは、15位から始め、ブルライダーの世界チャンピオンになった。


2004年NFR第9回戦チームローピングチャンピオンバックル
(およそ20万円)

2004年世界ブロンコライダーチャンピオンバックル
(およそ100万円)

2005年世界ブルライダーチャンピオンバックル
(およそ100万円)

決勝戦についてもう一つ。ロデオのチャンピオンにはバックルが与えられる。面白いことに、出されるバックルは実は1種目について1個でなく、13個ものバックルが用意されるている。1つはもちろん世界チャンピオンで、もう1つは準優勝者(reserve champion)、そして 、NFRだけで最も賞金を稼いだNFRチャンピオン(NFR champion)、それと、1日1回戦ごとにその回の優勝者(10回戦で、のべ10人)にも与えられるのだ。

これらのバックルはすべて、モンタナ・シルバー・スミス社(Montana Silver Smith)(1999年まではアウォード・デザイン社)のカスタムメイドで、1回戦ごとのチャンピオンに送られるバックルは、1つで2千ドル(約22万円)、世界チャンピオンバックルは、なんと1つで1万ドル(約100万円)のもする。2000年のラスベガスNFRでは、期間中、表彰式を行うゴールドコーストというホテルに展示されていた。

NFRの数ヶ月前、トップ30位内のカウボーイ達により決勝戦で使われる牛や馬の投票が行われる。これにより、決勝戦には最も良く、8秒間乗り切られることが最も少なかった牛や馬だけが使われるのだ。また、カウボーイの投票により、後に全馬や牛の中から年間のもっとも素晴らしい馬や牛が決勝戦で決められる。いづれにせよ、バックルと膨大な金額のお金が、名誉を授かった牛馬を貸し出したストックコントラクター(stock contractor:ロデオに使用する馬や牛を賃貸する業者)に送られる。ここでひとつ気に留めておかなければならないのは、ブルファイター(bull fighter)達は、様々なストックコントラクターに雇われているので、30位内のブルライダーはブルファイター2人と、予備のブルファイター1人を同様に投票で決定する。彼らブルファイターにもその働きに対してバックルと相当なお金が送られることになる。

ロデオのチャンピオンは種目別に決まる。 英語で単に"Rodeo Champion" と言う言葉はなく、ロデオのチャンピオンのことを話すときは、「世界サドル・ブロンコ・チャンピオン」、「世界ベア・バック・チャンピオン」、「世界ブル・ライディング・チャンピオン」というように、「何々(種目名)・チャンピオン」という言い方をする。

また、全種目チャンピオンというものもない。  しかし、"All Around Cowboy(万能カウボーイ)"または、"All Around Champion"というものがある。これらは、2種目以上で競い、NFRの結果、最も賞金金額が高いカウボーイに送られる。競っている種目全部においてNFRへ出場しなければこの賞を受賞出来ないわけではないものの、最低一つの種目において出場権を獲得しなければ賞を勝ち取るのは不可能に等しいだろう。カナダ・プロ・ロデオ協会では万能カウボーイ賞を獲得するには「アリーナの両側」つまり最低一つのタイム・イベントと最低一つのライディング・イベントで競っていなければならないが、PRCAにこの様な規定はなく、PRCAのカウボーイ達は二つの同種の種目で競っても獲得可能である。実際、タイ・マーレーは獲得した7つの万能カウボーイ賞を全ラフ・ストック種目(ブルライディング、ベアバック、サドルブロンコ)で競うことによって勝ち取ったし、フレッド・ウィットフィールドは1999年の賞をカーフ・ローピング(現在「タイダウン・ローピング」に改名)とチームローピングで競って獲得した。

ロデオ・サーキット

さて、プロになる方法、そしてチャンピオンになる方法への進み方は説明したが、それまでの道のりはどうなっているだろう?

映画「8 Seconds」を見れば分かる様に、ロデオ・カウボーイ達は、一つのロデオを終えると、次のロデオが行われる街までひたすら車を走らせる。 そして、そのロデオが終わるとまた次のロデオへと向かう。 これを一年中繰り返し、アメリカとカナダを幾度も横断し、10月の締め切りの時点で一番獲得賞金額が多い上位15名がNFRへと駒を進めることとなる。

これを、Rodeo Circuit (ロデオ・サーキット)という (Circuit は英語で「幾度もまわる」と言う意味)。そして、ロデオの為にひたすら移動する事をカウボーイ達は、Riding the Circuit (サーキットに乗る)と呼んだり、車を走らるのが道路の白線を追いかけている様に見える事から Chasing the white line (白線を追う)ともいう。つまり、カウボーイが「サーキットに乗っていた間は...」とか言うと自分がロデオで競っていた時の話をしてるのだ。

平日に定職に就いているカウボーイは、週末だけ競ってもとてもNFRに進むのに必要なだけ競うことはできない。かれらのようなカウボーイ達に報いるシステムの必要性を認め、1975年、PRCAはサーキットシステムを設立した。このシステムでは、カウボーイが週末の間にロデオに行って、競技に参加して、家に戻って、月曜には仕事に戻れるような範囲の12のエリアにアメリカを区分している
毎年、カウボーイは所在地に基づいてサーキットを申告し、一年を通してそのサーキット内で競う。シーズンの終わりで上位の者はそのサーキットの決勝戦ロデオへと進むことができる。全12のサーキット決勝戦が完了すると、各サーキットのシーズン終了時点における最高賞金獲得者と各サーキット決勝戦の各種目の優勝者は翌年3月、アイダホ州ポカテロに於けるドッジ・ナショナル・サーキット・ファイナルス(DNCFR)への出場権を得る。
尚、サーキットが設けられているからと言ってカウボーイ達がそのサーキットのみで競うことに限定されている訳ではなく、他のサーキットに於けるロデオにも自由に出場することができる。但し、申告したサーキット外で獲得した賞金はNFRに進む為の世界ランキングには加算されるが、DNCFRに進む為のサーキットランキングには加算されない。
First Frontier = 「最初の未開拓地」
フロンティアと言うと米国西部を思い浮かべがちだが、白人がアメリカに移住したての頃は現在大都会である東海岸区域こそが未開拓地(フロンティア)であったことから。

Southeast = 「南東」 そのままであるが、米国南東部のサーキットであるから。

Great Lakes = 「五大湖」
米国とカナダの境目にまたがるスピリアー、ミシガン、ヒューロン、イウリー、オントリオの五つの湖からなる五大湖から。

Badlands = 「不毛地帯」
サウスダコタとネブラスカにまたがる不毛地帯を米国ではBadlandsと呼ぶことから。

Prairie = 「大草原」
北はノースダコタから南はテキサスまで広がる大草原を英語でプレーリーと呼び、このサーキットに含まれる三州はいずれも大草原地帯に収まっていることから。

Mountain States = 「山岳州」
このサーキットに含まれるコロラドとワイオミングをロッキー山脈が横断していることから。

Turquoise = 「トルコ石」
アリゾナとニューメキシコの両州ではインディアンジュエリーで有名な青緑色のトルコ石が多量に採掘されることから。

Wilderness = 「荒野」
サーキットを構成するネバダ、ユタとアイダホ南部の大部分は荒野としか呼べない砂漠地帯であることから。

Columbia River = 「コロンビア川」
ワシントン州とオレゴンの境目を流れるコロンビア川から。

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